ミツバチは卵を産まない理論(世紀の大暴論)

頭の体操・・固定観念を外す・・発想の転換・・物事を論理的に考える・・太陽(強いもの)に石投げる・・ミサイルに竹やりで参戦
子袋(膜)に入った物も、卵、と、決めつめている世界の現状に・・・物申す。
我々は、ミツバチのメスが産む物体(小さい虫みたいなもの)は、卵と思っていた。
産まれるものが、卵と生体(親と同じ姿)の中間(幼虫)が在ってもいいはずだ。
なぜ、中間で産まれるものが無いのだ、なぜ、中間で産まれるものを卵と決め付けるのだ。
ミツバチが産む物体は卵理論やその定義原理から外れている。


----------- 世間一般に氾濫している、ミツバチの卵の説明から・・・引用はじめ
 女王蜂の産んだ卵には、有精卵と無精卵があり、有精卵からは働き蜂(メス)が生まれ、
無精卵からは雄蜂が生まれます。
 ミツバチは、卵、蛆、蛹、成虫の4段階
六角形の巣穴の底を見ると、1〜2mmくらいの
純白でバナナ型(勾玉型)をしたミツバチの卵が見つかる。
 生まれたばかりの卵は立っており、2日目の卵は傾いており、3日目には横になっています。

--------------------------- 引用終わり


 ミ
ツバチの卵は、バナナ型、まがたま(勾玉)型、と、いろいろ例える。
ミツバチの場合、働き蜂が作った巣に、女王蜂又はメスが、形を形成した、生命と言う幼虫を産む。ミツバチが産むものは卵では無く、直接幼虫を産むのである。
卵とは、、、卵の中は、まだ、形を形成した生命ではなく、生命前の、生命の形を形成される前の、細胞とその細胞から幼虫(→成虫)に成る為の栄養源である。

卵の定義やその理論に於いて卵の場合その生命はオスかメスか判別出来ない。 しかし、ミツバチは産む時すでにオスかメスか判別出来る。 ミツバチの場合、巣の大きさによって、生命がオスかメスか判別出来る。つまり、ミツバチの場合オスかメスかは女王蜂がそれを決定する、それは巣の大きさによってメスかオスか決まる。その点から言っても卵の定義理論から外れている。ミツバチが産んだ物体は1日で動き出します、これはミツバチが産んだ物体はすでに生命を有している証のひとつであろう。つまり、ミツバチが産んだ幼虫は幼虫と言う形を成した物体を産むのである。卵の場合は生物のオスが交尾して創めて始めて、産む生命がオスかメスか決定する。通常卵は円形又は楕円形である。

卵の場合、卵自身が、卵の中で、その細胞は、誰の介助もなく、自然に卵内の栄養源で、生命の形に形成され、親と同じ姿に成る。
 ミツバチの場合は、巣にミツバチのメスが産んだ未熟な幼虫に、働き蜂が、ローヤルゼリーと言う餌を与えて、、巣の中の、幼虫は、成虫に成る、、、この違いをご理解ください。
つまり、ミツバチの場合、交尾するしないに関係なく、メス(女王蜂)の体内で、命(幼虫)と言う形に形成された、未熟な幼虫と言う生命を産むのである。
そして、ミツバチのメスが産んだ、その未熟な幼虫に、働き蜂が、ロヤルゼリーと言う餌を与えて、成虫(親と同じ姿)に成るのである。
 
卵の場合は、卵自ら成長し幼虫に成り、だんだん成虫(親と同じ姿)に成る仕組みを母親(メス)から組み込まれていて、卵の場合は、最初は生命の形は形成されて無い。
卵の場合は、自ら、幼虫から成虫に成長し、誰の手も借りないが、ミツバチの場合は卵では無く、未熟な幼虫を産む訳だから、働き蜂の手を借りて幼虫から成虫(親と同じ姿)に成る。
 
卵の場合は、誰の手も借りる必要がないように、親(メス)が卵の内部に栄養源を最初から入れて在る、、、ミッバチの場合、女王蜂又はメスは未熟な幼虫を産むから、なんの栄養源も必要としない、それ故に、他の生物には在りえ無い、一日約1.000個の卵を産むと言われているのである
 つまり、ミツバチが産むものは、卵ではなく、小さい未熟な幼虫を産むのである。 よって、ミツバチが産むものに、有精卵とか無精卵と言う、言い方は、間違っているのである。 なぜかと言うと、ミツバチは卵を産むのではなく、幼虫を産むから、、、。世間一般で「
無精卵からは雄蜂が生まれます」と言う言い方が如何に論理矛盾かご理解頂きたい。 卵の場合無精卵からは、雄はおろか、生命は誕生しません。 生命が宿ってない卵の事を、無精卵(無生命の卵)と言います。
 我々は、ミツバチが産む物体は、卵と思っていた。
しかし、卵の定義には無い、ミツバチの卵は、自ら2日目には自力で卵は動くらしい、、、卵が2日目に自ら動く、、、コレ卵と居えるのか疑問であろう、ヤッパリ性を受けた幼虫ではないか。

卵の定義
卵とは、雌が未受精の卵細胞や、受精し胚発生が進行した状態で体外(外環境)へ産み出される雌性の生殖細胞と付属物(殻や膜)の総称である、 このため、生殖を目的として外部に放出される卵は、周辺環境と内部を隔てる構造を持ち恒常性を保つ機能を持つ、この保護機構は種により異なることもある。

卵とは、簡単に言えば、、、殻や膜に包まれた球形のものである。 しかし、ミツバチの卵の場合、卵の定義とはまったく違う、なぜだ。 ミツバチが産む物体は、必ず、生命であるオスかメスです、しかし、卵の定義はどうですか、無精卵や有精精卵があります。 無精卵とは生命が入ってない卵のこと。 無精卵とは未授精卵の事である。 卵の場合、無精卵、未授精卵からは生命は誕生しない。これが卵の定義であり、卵理論である。

 更に、卵の場合は、卵自身が、自ら大きく成る仕組みに成っているが、、、ミツバチの場合は、産み落とさた巣の中で、働き蜂から、ローヤルゼリーをもらい、 だんだん成長し、成虫(親と同じ姿)に成る、、、この事からも、ミツバチの場合、産むのは卵ではなく、形を形成された未熟な幼虫、と言うことが理解出来ると思います。
卵の場合は、卵自ら成長する為に、殻内に成長の為の栄養源が入っている、しかし、ミツバチの場合は、それとは全く違う、巣に産まれて巣で働き蜂に育てられる。

その事からもミツバチの場合はメスが産むのは卵では無く未熟な幼虫を産む事が理解出来ると思います。

 卵の定義が先に在って、ミツバチの卵うんぬんは、その後発見(知られた)されたのである。
もちろん、生物によっては、産む容器(細胞を保護するもの)の材質は違うものもある。
通常一般には、卵とは、丸く円く、タンサンカルシュウムで出来たもを指す。
つまり、何がしかの、容器(細胞を保護するもの)の中に入って、排出(産卵)される、生命の元、又は無生命のものである。
その(卵)状態は、その細胞、その生命の元は最初は、動かないものである。
通常、有精卵とは、容器(細胞を保護するもの)と生命を宿した細胞を産む。
 世間一般で言われている、ミツバチの場合の無精卵とは、生命を宿した雄の幼虫を産む。これこそ論理矛盾であり、ここに疑問と矛盾が在る。 ミツバチは、卵を産むのではなく、、、いきなり生命を宿した虫みたいな、小さい未熟な幼虫を産むのである。
ミツバチの場合は、交尾とは関係なく、、、メスは、未熟な幼虫(生命)を産むのである。

 しかし、ミツバチの卵の場合、、、女王蜂は、生命を入れる容器は、産まない。
ミツバチの場合、働き蜂が作った、巣に、メスがその生命を産む。
ミツバチが卵を産む、と言う言い方は、疑問と矛盾であり、無精卵からオスが誕生する、と言う卵が論理的に解決出来ない。

 つまり、ミツバチに於いて、女王蜂が、卵を産む、と言う、言い方は、過去の言葉の
意味からして、疑問と矛盾を生じる。
ミツバチは、卵を産むのではなく、、、いきなり生命を宿した小さい幼虫を産むのである。
 卵とは、丸くて円くて、タンサンカルシュウムの容器から成り、無生命細胞を包む構造、又は生命になる細胞を包む構造を含む。
有精卵や無精卵と言う言葉の意味からして、ミツバチの卵うんぬんは疑問と矛盾である。

 つまり、ミツバチのメスは、卵ではなく、細胞ではなく、生命を宿した小さい幼虫と言う生命を産んだのである。
それも、ミツバチのメスは、卵の定義とは違い、働き蜂が作った容器の中に、形を形成した小さい幼虫を産むのである、、、。
ミツバチの卵うんぬんは、卵の定義のひとつである、細胞を包む、丸い円い球形のタンサンカルシュームの容器は産まない。
 通常、卵を産むとは、動かない細胞と細胞を包む容器(タンサンカルシュームから成る)を同時に産むのである。
卵は周辺環境と内部(細胞)を隔てる構造を持ち、恒常性を保つ機能を持つ。
これ等の保護機構(卵の殻)は種により異なるが、卵は、必ず、細胞を包む構造に成っている。


 ミツバチに対して有精卵、無精卵、等々の単語(言葉)の矛盾や疑問からして、ミツバチは、卵を産むのでは無い、
と言う事実が、論理的にご理解頂けると思います、、、方程式理論の答えから、問題を、導けば、解る。
ミツバチは卵を産む、うんぬん・・・」と言う事から、間違った情報は氾濫したのであろう。
「無精卵からオスのミツバチが誕生する」と、間違った情報を垂れ流し続けて居る現在、なぜ、こんな簡単な間違いが
誰も知らないのか、、、つまり、ミツバチは卵を産むのでは無く、小さい幼虫と言う生命を産む事実からして、ミツバチは卵を産まない事は理解出来ると思います。 ミツバチは卵を産む、と、理解するから、論理的におかしな、理論がまかり通って来たのです、「無精卵からオスのミツバチが誕生する」訳が無い。
ミツバチは、無精の時、オスの小さい幼虫を産み、有精の時、メスの小さい幼虫を産むのである。

 ミツバチは、卵を産むのではなく、、、幼虫(雄又は雌)と言う生命を、直接産むのである。
物事を論理的に理解出来るのであれば、この事は簡単にご理解頂けると思います。
ミツバチの専門家は、間違いを改めて欲しいと願う。
物事を論理的に理解出来るのであれば、こんな簡単な論理(ミツバチは卵を産まない理論)は理解出来るであろう。

 それ等のことからしても、日本の教育界(各地域の教育委員会)において、物事を論理的に、教えて来なかった経緯がご理解頂けると思います。  こんな簡単な事が、いかにも真実の如き顔して、正しい情報として、まかり通って来たのである、ミツバチは卵を産むうんぬんは、過去から現在も。 「ミツバチは卵を産む」「ミツバチに対して、有精卵、無精卵」と言う単語(言葉)は正しく無いのである。
 ミツバチの卵、と、言っている状態は、、、卵の定義の細胞とその容器では無く、、、すでに形に成った生命そのもので幼虫を産んで居る事実をなんと言い訳するつもりであろ。 明らかに卵の定義から言っても違いがご理解頂けるであろ。


 各分野の専門家、学者、教育関係者は、こんな言い訳をする、、、→「これも卵と言う」又は「広義の意味ではこれも卵と言う」と、言いのがれ言い訳をする、たいていの専門家、学者、教育関係者は、間違いを認めようとしない、学者や専門家がそう言うのであれば私もこう言う、「広義の意味では卵ではなく幼虫と言う」、これが日本の現状である。 つまり、卵の定義からは完全に違った状態(形を形成して産まれて来る)にもかかわらず、卵と言い張る。これが日本の専門家や学者や教育者の現状である。物事を論理的に理解することを望む。 卵は、生命の形を形成されては産まれて来ない、それを卵と言う
日本では、各それぞれの学会に、発表された論文を、その理論が間違っていても、それを信用する、と言う欠点がある。
無精卵から、雄と言う生命が誕生する、と言う、理論が成り立つ訳が無い。このことからしても、ミツバチが産むのは、卵ではなく、直接形を形成した生命幼虫と言う命を産む事が理解出来るのであろう。 目を覚ませ日本人、日本の教育関係者は考えて欲しい。 なぜ、こんな間違いが、長年垂れ流され続けて居るのだ。 なぜ、改めようとしないのだ。

 如何に人間が、洗脳され易いか自己洗脳し易いか、ご理解頂けたと思います。
よく、「目の錯覚」と、言いますが、あれは、、、、目で見て、それを脳が、演算して居るのである。
それを言い換えれば、洗脳も、自己洗脳も、目の錯覚(著しい思い込み)と同じ現象である。
その最たるものが、宗教に洗脳される(自己洗脳)ことである。
 目の錯覚と、洗脳、自己洗脳は、同じ類の現象である、、、脳では、同じ演算をしているのである。
但し、洗脳には耳からの洗脳もある、、、脳では、同じ演算をしているのである。


 正しい理論が、是正されない訳と理由を、こんなことで、理解して欲しい、、、例えば・・・・・

 試験を受ける側は、その問題の答えを、、、知っているか、、、知らないか、の、2つである
しかし、試験を出す側、つまり、なになに教授、なになに博士、と言う高学歴の者は、、、、
 必ず、答えを、知っている問題を出す、、、つまり、問題が、間違っていようが、いまいが、一方通行である。
ここに、この是正されない、からくりがあります。 試験を受ける側は、問題が論理的に、正しいのか間違っているのか、
知らない、上からの一方通行で、、、試験を受ける側からは、、、間違いを指摘しても、、、試験問題を出す側が、、、
間違いではない、正しい」と、判定されれば、、、なかなか是正されない。
過去の経緯からして、500年は、是正されない。 その例のひとつが、地動説である。
 つまり、国の、高学歴の者、地位の高い者が、間違いを認めないかぎり、500年は是正されないのである。
つまり、庶民は、国の、高学歴の者、地位の高い者、を信用するが、、、庶民の叫びは信用しない、これが人間の嵯峨である。
だから、革命がある時は、必ず、必ず、高学歴の者や地位の高い者は、抹殺されるのである。←これ人間の嵯峨。
庶民は、高学歴の者や地位の高い者達を信用するから、、高学歴の者や地位の高い者達は、抹殺される。
革命が無い国は、500年は是正されないであろう。

 なぜ、ミツバチのメスが産む物体(虫に似る)が、幼虫か、と言う説のひとつ・・・・・
ミツバチの女王蜂は1日に約1.000個の、仮に卵を産む、と言われている。 これが卵であるなば、到底1日で1.000個を産む事は不可能と推察する。 他の生物から推察して、卵の場合は、卵の内部細胞を守る為に、卵の外の外皮を強く厚くする必要があり、1シーズンに於いて、出産する数は、せいぜい数百個程度が限度である。 卵の内部には卵が成虫(親と同じ姿)に成る為には、それぞれの卵の内部に成長の為の栄養源を入れる必要があり、ミツバチの場合それが無い、、、それ等々の点からしても、ミツバチが出産する物体(虫に似た)は未熟の幼虫である。 ミツバチの場合、交尾とは関係なく、1.000個も産む、と言う事は、鋳方のように、未熟の幼虫を、鋳方式に、メスの体内で大量に作って居ると推察する。

 亀やヘビや鳥類はじめ卵を産む生物は、ミツバチより長生きである。 ミツバチは短命の為に、数産む必要があり、卵では数を産めないから、ミツバチは1日に約1.000匹もの「未熟の幼虫」を産む、と思われる。 卵理論からして、短命の生物は、卵は産まないし、短命の生物は交尾とは関係なく、生命を誕生させる、と言う特徴がある。 袋(膜)に包まれて出てくる(出産)生物に対して、これも卵、と、決め付けている現状には矛盾と疑問がある。何処の誰が、これ(膜に包まれて産まれるもの)も卵、と決め付けたのだ。

★★★ ミツバチのメス(女王蜂)が産む未熟な幼虫は、膜に包まれて産まれて来る、と思われる。 通常、その膜は、水分を通し、更に空気も通すのである。 産まれた未熟な幼虫は直ぐには動きの確認は出来ないが、膜を通して、呼吸をしているのである。 膜について詳しくは細胞膜の働きをご理解ください。
 卵の場合は、二重三重に内部が保護されているので、卵内部の細胞生命は呼吸はしてないのである。 ミツバチの欠点のひとつは、産まれて来る未熟な幼虫の内部の保護は膜のみであり、ほとんど保護しているとは言えない状態で産まれて来るので、フソ病やチョーク病に罹患し易いのである。つまり、幕から菌が作る(芽胞)が入り幼虫は死に至るのである。 これが私が唱えている幼虫の外部破壊説←である。  ミツバチのメスは未熟な幼虫を産む為に、その幼虫は皮膚である細胞膜から病が入り罹患するのである。 過去から現在に至るも、世界で言われている、内部(病は口から)崩壊説の証明はされてないのである。 病は口から 崩壊説は誰も証明して無いのである。 せいぜい、そうであろう、くらいであり、世界で言われている口から病(病原性細菌)が入ると言う説は疑問と矛盾である。 幼虫に与える食事は、ローヤルゼリーであり、、、そのローヤルゼリーが菌入り毒とは考えられないのである。 ローヤルゼリーが幼虫に毒であれば、女王蜂や他のミツバチも病に罹患するはずが、フソ病やチョーク病は、ミツバチの幼虫のみが罹患する病である。 それ等の経緯からしても、フソ病は、口から入るのでは無く、皮膚の膜から入る、と理解出来ると思います。 つまり、ミツバチのメスは、卵では無く、未熟な幼虫を産むのであり、沢山産むと言うミツバチの利点でもあるが欠点でもある。

 ミツバチのメスは、有精の時、メスの幼虫を産み、無精の時、オスの幼虫を産むのである。
しかし、
種の保存の法則からして、有精の時でも「オス」のハチは誕生する事は、ごく当たり前の事である。
本来(
有精の時オスもメスも誕生する)の法則はこれ(有精の時オスもメスも誕生する)である。
ミツバチのメスが産むものは、形に形成された細長い幼虫と言う生命そのものであり、卵ではない。

どうも、親亀がこけたら、小亀もこける、状態、これが日本の現状か。
 専門家とか、なになに教授とか、なになに博士、学者、等々が唱えた説だから、正しいとは限らない、と言う事実をご理解ください。
欧米からの情報を、専門家(教授、学者、なになに博士)と称する者達が、、、、間違い情報を広めたと推察するが、、、さて、、、、真実は、何処。
その道の専門家や関係者や御用学者が、欧米からの情報を、鵜呑みにして、間違った情報を広めたと思われる。
 我々は、女王蜂から産まれるもののは、「卵」、と、長年、
洗脳(教育)され続けてきたので、ミツバチが産むものは、卵、と錯覚しているのである。

それでも、「ミツバチは卵を産む、」、と、言い張りますか、、、、日本の専門家のみなさん。
ミツバチのメスが産むものは、卵だ、と言う証拠は在りますか、、、ミツバチのメスが産むものは卵の定義に合致していますか。
薄い膜に包まれた細長い小さな幼虫を産むとは思いませんか。 ミツバチのメスが産む、あの細長い虫みたいなものが卵と言えますか。 無精卵からミツバチのオスが誕生する訳がない、無精卵とは生命が入ってない卵の事である。 無精卵には生体細胞は入ってない。

 「いゃ、あれ(ミツバチが産むもの)は、卵だ、」と、全国のみなさん、あなたは言えますか、ミツバチに関し、卵だと言う証拠がありますか。
他人の真似、鵜呑みをするのではなく、固定観念を外し、物事を論理的に、自身で、考えてみよう、日本のみなさん。

 ちなみに、文中、「幼虫」と言う例えは、、、「虫の形」をした物体、と言う意味であり、「卵、蛆、蛹、成虫の4段階」の 
   卵の所が、虫の形をした、と言う意味である。 つまり、ミツバチのメスは卵を産むのではなく、虫の形した物体を産む、である。

すべての生物は細胞から・・・・・

★ 細胞(cell)−組織(tissue)−器官(organ)−器官系(organ system)−個体(organism)
★ 生体内の構造の単位としては多数の細胞が集まって組織を構成し、器官を構成している。
★ 細胞が集まって各々の機能を持つ組織が作られ器官を構成している。

★ いろいろな種類の細胞があって、細胞は働きを分業している。
筋細胞は運動機能をもち、神経細胞は刺激を伝達する。
これらは、それぞれ特徴のある形や物質や機能をもちます。

 特定の種類の細胞が集まったものが組織である。
組織は「材料」と言うもので、それだけではまとまった働きはできない。
別の種類の細胞でできた組織が組み合わさってはじめて動くことが出来る。

 細胞は生物の体を作る基本単位である。
細胞は分化していろいろな特殊な働きをもつようになり、
これが組合わさって組織、さらに器官をつくり、複雑な体制ができあがる。

★ 細胞(顕微鏡レベル) → 組織(顕微鏡レベル) → 器官(肉眼レベル) → 個体(肉眼レベル) 

★★★ さて、ミツバチが産んだのは、どの段階か、どのレベルか、、、。
ミツバチが産んだのは、卵と言えるのか、卵と言う証拠が在ると言うのか。
 ミツバチが産んだのは卵では無く、未熟な幼虫であろう。
ミツバチが産んだものは、小さい虫状態であり、卵では無い、器官、固体レベルである。
ミツバチが産んだのは、すでに、器官、固体レベルである。

★ ちなみに、卵の、無精卵とは、生命が無い卵の事であるからして、無細胞と言う意味に成ります。
故に、無精卵からは、オスのミツバチはおろか生命は誕生しません。
  ミツバチの専門家達は、無精卵から、オスのミツバチが誕生すると、公言している、、、。



通常、卵と言われるのは、精子が入って受精が行われることで発生が始まり、新たな個体へと成長するものである、
が、しかし、卵が受精を経ずに発生を始め、固体へと成長する例があり、このようなものを単為生殖(単為発生)と呼ぶのである。


 上記の説明は、生物等々の専門家が、講義する内容(文章)だが、、、最初から、生命の始まりを卵、「卵が受精を経ずに」、と、唱えはじめる。 単為生殖(単為発生)は、卵(卵子)は介在しない訳だから、、、ミツバチが産むものは、介在しない「卵」と、言う言い方は矛盾であり、専門家による洗脳講義に過ぎないのである。 単為生殖(単為発生)は、卵(卵子)は介在しない訳だから、卵を産むと言うい言い方は間違いであり、ミツバチは卵を産むのでは無く、いきなり、無成熟の幼虫と言う生命を産むのである。ミツバチが産む、あの細長いと言えるのか。卵の場合は卵自ら成虫(親と同じ姿)に成るがミツバチの卵と言われるものは卵自らは成虫(親と同じ姿)に成れない、この事からして、ミツバチが産むものは卵とは言えない。


それ等の件に関して、反論、異論、意見、歓迎致します。←反論異論意見は掲示板 ←ココか、メール←ココへ





下記文章は2012-03-03日に追加・・・・・
8ちゃんる井戸端会議から、サル彦さんの書き込み引用、、、
★★★下記の枠内は、上記の私の理論に対して、サル彦さんが、 【F. Huber (1792) Nouvelles Observations sur les Abeilles
の第8書簡(1791年9月4日付)】 ←を引用したものである。 サル彦さんに感謝致します、220年前の貴重な情報ありがとうございます。

[2619] ミツバチの卵生について 投稿者:サル彦 投稿日:2012/02/26(Sun) 18:59
鬼龍院熊五郎(元みなしごハッチ)さん、こんばんは。

ご高説を読ませていただきました。どなたからも長い間、書き込みがありませんでしが、やっと下記を記憶の中から見つけ出して、再読し、和訳の存在しない古典の拙い訳で、自分で観察したわけではありませんが、ご高説の一部のご参考まで。

F. Huber (1792) Nouvelles Observations sur les Abeilles
の第8書簡(1791年9月4日付)にあります。

八月に、わたしたちは三日前に産みつけられた卵が入っている巣房を、数個、取り出し、巣房すべての壁を切り削って、卵が固定されれているピラミッド状の底部をガラスのスライドに載せました。身体をかすかに湾曲させたり、伸ばしたりする動作が、卵の一つですぐに観察できました。最初は、レンズで見ても卵の外表面には何ら変わった構造は認められませんでした。幼虫は卵の薄皮によって全体が隠されていたので、高倍率のレンズの焦点のところに置きました。しかし、観察装置を準備する間に、幼虫は閉じ込めていた皮膜を裂いて、この外被の一部を脱ぎ棄て、裂けた皮膜が、身体の一部、とくに末尾の体節のところで、くしゃくしゃになっていくのが観察されました。幼虫は、活発に動いて、身体を交互に湾曲したり伸ばしたりして、卵の皮膜を脱ぎ終わるのに二〇分ばかりかかりました。激しい動きを止めると、幼虫は横たわって身体を湾曲させて、必要となった休息をとっているようでした。この幼虫は働き蜂の巣房で産まれた卵から出てきたので、働き蜂になるのでしょう。

次にわたしたちは、雄蜂の幼虫が孵る瞬間に、注意を向けました。ガラスのスライドに載せた卵に太陽の光を当てると、上等のレンズに助けられて、卵の透明な皮膜の下に、幼虫の九つの体節が見えました。皮膜はまだ破れる前で、幼虫にはまったく動きがなく、気管の二本の縦線と多数の分岐が識別できました。わたしたちは一瞬たりとも卵から目を離さず、今度は幼虫の最初の動きを注視しました。太い方が湾曲したり、まっすぐに伸びたりすることを交互に繰り返して、末端が巣房に固定された基部にほとんど触れんばかりになりました。これらの奮闘の結果、皮膜は最初上側で破れて、裂け目が頭部の方に広がり、続いて後ろ側で、さらにその後すべての部分で連続的に広がりました。もみくしゃにされた皮膜は、身体の異なる部分でかたまりになって脱落しました。結局、女王が卵を産むことは間違いありません。

 ↑(第8書簡(1791年9月4日付)に反論、、、、

> 卵の透明な皮膜の下に、幼虫の九つの体節が見えました。皮膜はまだ破れる前で、幼虫にはまったく動きがなく

 確かに、その文面(第8書簡(1791年9月4日付)は、長年我々日本人が共通に認識している常識である、が、しかし、、、
幼虫は動かない、と言うことですが、、、未熟な幼虫は動く必要がないから動かないのである、、、動かない訳は、時を稼いで居ると理解すべし、、、幼虫が皮膜からの「脱皮」又は脱皮の準備とも言える、、、、、脱皮には、いろいろな状態、いろいろな意味がある、生物にはいろいろな脱皮がある。 皮膜からの脱皮もある。  過去の脱皮の理論が必ずしも正しいとは言えない。
つまり、それは、
卵では無く、幼虫が未熟のまま膜に包まれて産まれて来た、と言う証であろう、、、生物は必ず、100%膜に包まれて生まれ産まれてれて来る。

 最初から、幼虫の形を形成している未熟の幼虫が、膜に包まれた虫みたいな物体(
未熟の幼虫)が、産まれて来た事実は、なんと、言い訳するのであろう、故人は。

 
卵の場合、自ら成虫に成る為の栄養源を保有して産まれて来るが、ミツバチの場合、それを持たないで産まれて来た事実は、なんと言い訳するつもりであろうか。  卵であれば、卵から孵った(出た)のであるならば、その幼虫は、誰(働き蜂)の手も借りずに生きられるはず、、、しかし、現実は、働き蜂の手を借り(成虫に成る為の栄養源は働き蜂が充填している)て成虫に成ります、、、、ミツバチの出産の場合、卵の定義と違うと思いませんか。

(
第8書簡(1791年9月4日付)の文面からして、卵から幼虫が出たのではなく、生命体を保護している膜の中から幼虫が出て来たのである
膜の中は、最初から、未熟な幼虫の形を形成されている物体(虫の姿)である事実は、なんと言い訳するのであろうか。 ミツバチ(幼虫)が皮膜に包まれて産まれたのであれば、それは他の生物と同じで、皮幕に包まれて産まれる生体と同じである。 人間はじめ他の生物も皮膜に包まれて産まれて来ます。単に違いはその時呼吸していたか居なかったかの違いであり、生物が呼吸して無く産まれてもなんの不思議も無い。この場合呼吸する必要が無いからであり、呼吸に関係なく、産まれた物体は、生命体そのものである。 そもそも産まれる生命は呼吸とは関係ないのである。

 上記の文面(第8書簡(1791年9月4日付)からして、それが、卵の定義と合致するとは言えない。卵から幼虫が出たのではなく、生命体を保護している膜の中から幼虫が出て来たのである。ミツバチが産む物体は違う言い方をすれば、
一種の脱皮そのものである

卵の場合、、、、産まれて来る時の、卵の内部は、、形を形成されてない、形を成してない細胞(形を形成してない)状態そのものである。

 
ミツバチの場合は、必ず、幼虫の形を形成され細長く産まれて来ます、しかし、卵の場合は、卵の内部は形を形成されてない細胞の状態で産まれます、ミツバチの場合は、必ず、細長い幼虫の形を形成されて産まれて来ます、、、よって、女王蜂が産むものは卵ではなく、膜に包まれた未熟な幼虫そのものである。

 卵の場合は、無精卵と有精卵、と言う、生命が在るものと、生命が無いもの、二つに区別出来るが、、、ミツバチのメスが産むものは、すべて生命が在るメスかオスを産みます。 、、、、無精卵(無生命卵)とは命が宿って無い卵の事である。 無精卵からは生命が誕生することは在り得ない。 ミツバチの場合、無精卵と言われているものからミツバチのオスが誕生します、この現象は論理矛盾である。

. 我々は、ミツバチのメスから産まれるもののは、「卵、」と、長年、洗脳され続けてきたので、ミツバチが産むものは、卵、と錯覚しているのである。 ミツバチのメスが産むものは、卵の定義に合致してないし、矛盾と疑問がある。 ミツバチの出産は、むしろ、生体(幼虫)出産そのものである。 ここで言う生体とは、今動く、と言う意味では無く、生きた体(死んではない)、と言う意味である。


★★★ 上記の説明でも理解出来ないとするならば・・・・・

デジタルICの論理回路又は非論理回路を理解出来るか、又は、コンピューター関連のフローチャートを理解出来るのであれば、、、この理論を、フローチャートにかければよい。

卵の場合・・・ 【1】有精卵と無精卵と言う、2つの種類があります、有精卵は、オスかメスに孵ります、しかし、無精卵は、卵の内部は無細胞である為に、孵ることは無く、無生命です。

 更に、
【2】卵の場合は、卵自ら、自然に成長して行く為の栄養源を自身で所持して、誰の手を借りる事なく、目的の成虫(又は親の姿と同じ)に成ります。

ここで、【1】と【2】を卵のフローチャートにかけてください、、、ミツバチは、【1】と【2】を卵のフローチャートの回路を通過出来るか否か。

ミツバチの場合・・・・・ ミツバチのメスが産むものは、必ず、100%生命(オスかメス)を産みます、、、つまり、ミツバチの場合は、無生命のものは産みません(卵の場合は無精卵無生命が在る)。
この点も、卵のフローチャートは通らないはずです。

 更に、ミツバチが産むもの(仮に卵)は、、、仮に卵自身では、目的の成虫(又は親の姿と同じ)に成る為の栄養源は持っていません、、、つまり、ミツバチの場合は、、、働き蜂の手を借りて、目的の成虫(又は親の姿と同じ)に成ります。
この点も、卵のフローチャートは通らないはずです。

卵の、無精卵からは、生命は誕生しない、と言う事実からして、ミツバチのメスが産むものは卵ではなく、幼虫そのものである。

 【1】と【2】の、いずれも、卵のフローチャートを通過出来ない結果からして・・・・
ミツバチには、無精卵、有精卵と言う、概念は、存在しない、と言う事実はご理解頂けると思います。
つまり、ミツバチのメスが産むものは、卵ではなく、未熟の幼虫と言う事がご理解出来ると思います。


★ 但し、ミツバチのメスが産むものの内部が、形を形成されてない、形の無い細胞である、と、証明されたら、私の理論は50%は崩壊します。後の50%は、ミツバチの幼虫は、働き蜂の助けが無いと、成虫に成らずに死にます、これは卵の定義に反する、卵の場合は卵自ら成虫に成ります。 卵を産む、ベビや亀や蛙、等々が、それに該当する、卵自ら親と同じ姿に成る、卵の場合、、、、、ミツバチの場合は、働き蜂の手を借りないと、幼虫は、生きられない。

 
ミツバチは卵は産まない理論は、単に、物事、その経緯を、論理的に解釈した場合の理論であり、すべてが証明されたものでは無い事をご理解頂きたい。 しかし、卵の、無精卵からは、生命は誕生しない、と言う事実もご理解ください、その事実からもミツバチは卵を産むのでは無く、幼虫を産むと言う事はご理解ください。


 なにはともあれ、貴重な古い情報(第8書簡(1791年9月4日付)感謝致します、、、サル彦さん、ありがとうございました・・・【土下座】
今後ともご指導お願い致します。



★ なぜ、ミツバチのフソ病検査が無駄無意味か、その理由のひとつ。

 家畜には 牛、馬、めん羊、山羊、豚、鶏、あひる、等々、、、それに、家畜には、野生の昆虫、、、ミツバチや蚕がある。
それぞれの家畜には法定伝染病があり、それに罹患したから、肥育、飼育している者は家畜保健所へ届ける義務がある。

しかし、 牛、馬、めん羊、山羊、豚、鶏、あひる、、、、等々には、年に一度の検査義務がある、とは聞いてない、、、
つまり、それ等の家畜には毎年強制の検査の義務があるとは、思えない。

 なぜ、ミツバチだけに年に一度のフソ病検査が強制なのか、疑問と矛盾である、目を覚ませ日本人・・・・
その検査を義務付けたのは昭和の30年前後であろう、、、 その頃は、甘味料が高く、その為に、フソ病検査を義務付けたのであろう。 しかし、今や、甘味料は安く手に入るし、、、、ましてや、甘味料は、糖尿病の原因物質の、甘味料(糖類)である目を覚ませ日本人・・・・

 つまり、ミツバチの年に1度の検査は、無駄無意味である。
更に、野生種の昆虫に、抗生物質を与える許可を国が関与している事は、矛盾である。 野生の昆虫にまで抗生物質とは、嘲笑ものである。 ましてや、フソ病に抗生物質が効くとは思えないし、抗生物質はフソ病に効果があるはずがない。 フソ病に抗生物質が効くと言う証拠は何処にも無い。証拠が在ると言うのであれば見せてもらいたい。

 ミツバチの、ふそ病検査は、税金の無駄使いであり、無駄無意味である。 目を覚ませ日本人・・・
日本の畜産の主である、牛、馬、めん羊、山羊、豚、鶏、あひる、等々に、年に一度の検査がある、とは聞いてない。

鶏インフルエンザの国による大量虐殺があっても、鶏農家に年に一度の検査は課してないと聞く。
宮崎県で牛の法定伝染病で数万頭の牛が殺されたが、牛農家に年に一度の検査は課してないと聞く。

なぜ、そんなに重要でもない、野生種のミツバチにまで、強制検査が必要と言うのだ、、、嘲笑ものである。目を覚ませ日本人・・・
税金の無駄使いである、ミツバチの年に1度の検査は、無駄無意味である。目を覚ませ日本人・・・
 
法的に、同じミツバチと位置付けている野生種のミツバチには、ニホンミツバチ(在来種)とセイヨウミツバチ(外来種)が居る。
ミツバチは、毎年外国から輸入されている生物である。



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 ミツバチの腐蛆病に抗生物質(アピテンやテラマイシン)は効果は無い。←ココ

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