★★★ここから「豆腐」に関して世界ではじめてのbigpapa説(論文)...過去の説を覆す論文 ★★★上記引用文章は「腐」に関して中国と日本の学者や博士や教授や知識人なる者達も参加しての発言である。その者達の結論は腐の意味は漢字が出来た数千年前から「柔らかい固体」「ぶよぶよ」と結論づけて居る。★柔らかい固体、ぶよぶよ、その現象は肉が変化(腐れた又は腐れかかっている境目)した結果である。つまりその自然現象は死後硬直後、身体が膨れた(変化した)ことを指します。★ここで言う変化とは肉が微生物により腐敗への道を辿って居るさま。 生物が死したら肉は必ず微生物(この場合の微生物は地球上で絶対必要な腐敗菌、この場合の腐敗菌は人類にとって必要な有用菌となる)により腐への秒読みがはじまり、内臓(肉)は概ね1日で腐れます。つまり動物植物(人間含む)の体内(血管内含む)には微生物やウィルスが生殖していることを理解すべきである。 ちなみに動物が死してから蛋白質がアミノ酸に変化する経緯で、人間の味覚(肉を生で食して最高に美味いと感じる)で感じる時間は約10〜15時間前後である。つまり死して(肉が変化→蛋白質→アミノ酸→微生物による腐)から腐がはじまることを意味します。 ★中国で腐が漢字発祥らい数千年前から「柔らかい固体」「ぶよぶよ」と言う意味であったならば、日本は漢字(漢文)をそのまま中国から入れて居た経緯からして、日本でくされる「変化」と言う自然現象の言葉に「腐」と言う漢字を充てる訳がありません。「腐」と言う漢字は豆腐だけではなく他の言葉(単語)にもいろいろ使用されている経緯をご理解ください。いずれの言葉も概ねくされる(変化して行くさま)と言う意味に使用しています。中国では「腐」と言う漢字が先に存在して居て後々になり、ものが変化する様を「柔らかい固体」「ぶよぶよ」と言う意味を付け加えたと思われる。 ■ 【腐】とは=【生】→【死】→【腐】→【土】→【生肉】→【死肉】→【肉→腐】→【腐植土】と変化して行く蘇ると思われて居る生き物の自然サイクル連続性 人間は再生すると考えられているそのさま状態その崩れるさまその連続性。腐とは身体の中心(府)を成す肉(心臓等内臓)から考えられた漢字である。【腐】とは死体に成るといずれ骨になる その骨に付いていた中心(府)を成していた肉(内臓等)が変化していく成り行き。「府」「腑」とは身体の中に臓されている(肉、内臓)ものの意味である。★府のくらの意味はこのくら→(臓)のことであり、この→「庫」ではありません。府は国の公の心臓部の事柄に使用します。コンピュターで言えば「CPU←中央演算装置←心臓部」のことです。府と言う漢字は百姓の納屋(庫や倉)や卑しい建物卑しいもの(動物獣肉)を入れるものには府は使用することはありません。例えば、府の武器庫とは、国の(政府の)武器庫のことで「府」のくらと「庫」のくらは別のくらです。つまり豆腐とは肉に匹敵する旨い食べ物で肉に替わる栄養価の高い食べ物と言うことで豆に腐(部首は肉)と言う漢字を充てたのであろう。豆腐は中国からの外来漢字で糸ひき納豆(日本独特の食べ物)は日本独自の食べ物であろう。つまり腐(部首が肉)から考えられることは大昔は美味い食べ物と言えば肉を指して居たと考えられる。つまり豆腐に腐と言う漢字を充てた経緯は豆から出来た栄養価の高い美味しい食べ物と言いたいが為に肉と府から出来た漢字の腐を充てたのである。豆腐とは 豆から出来た肉に匹敵する栄養価の高い美味しくて腐れ易い食べ物 と言う意味である。美味しいもの(たんぱく質→アミノ酸)は腐れ易い(足が速いとも例える)のが世界の常識である。腐の漢字の成り立ちの経緯 肉と府から出来た(腐)は土へ帰る【生肉】→【死肉】→【肉→腐】→【腐植土】→【生】→【死】→【腐】→【土】→【骨を洗って水分を与え新しく甦ることを神に願う←骨洗い】 死とは肉の水分が無くなる(腐→肉の中心(府)→腐食→肉の水分が何ものかに食われる→変化する←腐)ことを意味する。★狩をしてきた獣は内臓を除き(臓器内臓を除かないと食べられないものに変化する、変化とは、日本ではくされること)肉と皮は干す。干す乾かすとは熱(天日)をあてるか又は燻すか又は塩漬けか又は自然冷気をあてて水分を除く目的である。 ■豆腐の前身は大豆を石臼か木の臼で砕きそれを水で煮て食べたのであろう。後に塩が無かった為に塩の変りに海水を入れたのであろう。初期のころはおから(腐渣ふさも中国からとり入れた漢字)を取り除くことはなかったであろう。それは琉球の豆腐の作り方からご理解いただけると思います(琉球と大和の豆腐の作り方は違う)。豆腐に成った時は肉に匹敵する栄養価の高い食べ物に成ったのである。豆類(自然に自生していた)は文献によると5〜6千年むかしから食べられているが しかし大昔の塚を発掘した経緯から1万年前頃から農耕は始まって居るし、天然ものはじめ豆類果実含め数万年前から食べられていたことになる。それ等はそのまま生で食べれば毒に近いものもあって 多分当時の人間もある程度加工し熱を当ててアルファ化して食していたと思われる。大豆も生を食すると下痢します(豚も下痢する) ■人間は甦ると言う思想は大昔からあり【生】→【死】→【腐】→【土】→【骨洗い】と言う甦ると言う連続サイクルの中に 人間が死んだ後 土を掘り埋めます。でぇ時が経ち肉が腐れた後 死体を掘り起こし棺おけの中の骨を洗います(骨洗い)。 つまり骨を洗うと言うことは新しく甦る、生まれ代わると言う先祖伝来の教えである。 洗と言う漢字を分解すると「水さんずい」で「先人」を洗うと 新しく甦る 生まれ代わると言う教えであり 地球は水から成り立った 人間の体は水から出来た 人間の体は水を欲していると言う教えである。つまり先人達は自然を大切にし水を大切にしたと言うことは容易に理解出来る。「死に水を取る」うんぬんと言う言葉もある。ちなみに死者の「骨洗い」は沖縄にあった死者を弔う習慣のひとつである。おそらく中国から入って来た死者を弔う習慣のひとつであろう。★沖縄のお墓を見ればそのことは意図も簡単に理解出来るであろう。沖縄の墓は女性(妊婦)が寝て居る姿でそれを下から覗いた形をしています。でぇ墓に死者を入れる入り口は子供が生まれてきた所(女性の生殖器)に死体を居れ(入れ)ます。(墓を妊婦に見たて陰部に戻すことは再生甦りを願ったと思われる) つまり腐は人間の死と生の甦る思想の連続性の変化を表すそのさまであり 中国で作られた当時の腐は微生物がものを「くさらす」現象を理解できず、後々になり我々日本人が考えている「くされる」と言う意味ではなく変化→「柔らかい固体」「ぶよぶよ」←もの(物質)の変化を表していたと理解出来ます。後に日本に来てものが変化する様のこと腐は「くされる」に成ったと思われる。しかし ものが、変化→くされるその経緯は同じことである。くされる(腐)はもの(物質)が変化(「柔らかい固体」「ぶよぶよ」に変化)する様のことである。 ■ 地球上の物質すべては質量保存の法則に関係してくる。水素と酸素から水が出来て何らかの理由で水を好む微生物が派生し 長い間に動物植物が出来たと言う自然サイクルの中に「腐」がある。動物植物(人間含む)の体内(血管内含む)には微生物やウィルスが生殖していることを理解すべきである。だから微生物は数千メートルの酸素が薄い地下洞窟や海底にも存在する。つまり水分が先で微生物が後であろう(豆乳(豆をつぶした汁)が先で豆腐が後であろう。) しかし「腐敗」と「発酵」の区別は人間側の論理であり微生物側からすれば発酵も腐敗の同じようなものであり必ずしも正しいとは言えない。発酵菌と腐敗菌は別の菌である。発酵と腐敗は別々の物質を産出することがほとんどである。例えば納豆も最初は発酵であるが次第に腐敗になることがある。人間は腐敗させる菌のことを雑菌と決め付けている傾向であるが 雑菌と言う菌は存在しない。菌には必ず名前が在る。つまり腐敗菌側から見れば発酵させる菌を雑菌と言うことに成る。発酵菌と腐敗菌は勢力争いもある。つまり微生物等々見えないものは正体や働きがよくわからないもので研究途上である。それ等は中学高校程度の化学の学科に出てくる「酸と塩基の定義」を理解する必要がある。「酸と塩基の定義」を理解出来るのであれば「水分と蛋白質(アミノ酸)→肉」の成り立ちが理解出来ると思います。微生物(仮に発酵菌や腐敗菌等々)は蛋白質(アミノ酸)が大好きです(腐敗菌と発酵菌のエサが蛋白質と水分)。納豆は発酵菌が優勢か。 嫌われ者の腐敗菌が地球を救っていることをご理解ください。腐敗菌が働いたらアンモニア臭がします。腐敗菌がいなかったら生物が住めない地球に成っていたであろう。 ■ 腐(中心のものが変化していくさま)れるさまは蛋白質(アミノ酸)と微生物と水分に関係してくる。【腐】の、部首は肉で「腐」は府(ものの中心と言う意味)と肉からなり腐とは人間はじめ動物の体の中心をなすもの(中心をなす心臓や臓器)の変化するさまを指す漢字である。 ■ 【腑】とは内臓臓器のことで 左の【月】は【肉】と同じで月と肉は肉類や身体に関する字の意符に使用。くされるの【腐ふ】は府の下に肉ですが 心臓はじめ臓器の【腑ふ】は府の左に肉とご理解ください。人間の心臓が左に在ることを意識して「腑」「腐」は作られたと考えられる。★「腑」と「府」は身体の中に臓されている(臓されて居るものは肉、臓器)ものの意味である。(腐の刑の、精嚢(金玉)は下にある)★腐の刑は身体の中心(府)を成す肉を切り落とす刑のことである。★腐の刑からして「腐」の意味が「ぶよぶよと柔らかいもの」と言う意味では無い事を「腐刑」と言う物事が雄弁に物語っています。つまり 【腐】の総意は生き物(動植物)のその身体とその生と死に関し中心をなすものが変化していくさま状態とご理解ください。 ■ 【腐】の意味その使用例のひとつ→ 大昔中国で男性の精嚢を切除する刑を「腐の刑」と言う。精嚢は身体から離れ(切られて死肉に成る→腐)身体では共生関係に在る微生物との共生関係バランスが崩れ腐敗菌が優勢になり 精嚢は違うものに変化(腐くされる)して行く自然の摂理が腐である。腐の刑とは男性(雄)として肉の中心(腐)をなすものを切除する刑(切られて死肉に成る→腐)のことである。 ■ 【腐植】とは→土壌中に動植物の遺体がたまり、分解され黒色化したもの部分。有機物を含む土壌を言う。 ■ 【腐植】とはくさった(腐)ものを植えると言う意味ではない。動植物の腐ったものが土の中に在るさま(腐食土) そして腐植とはその土から蘇る自然サイクルと言うメカニズムを表わしている。 ■ 【腐植土】→ふしょくどとは腐植の多い土のこと。腐植が数拾パーセント以上含んだ土。つまり動植物の遺体が土になじんだ部分が多い土のこと。 ■ 【豆腐】とは→腐った豆と言う意味ではなく「豆は腐らない形を変えて変化して蘇る」と言う意味であり 豆腐とは豆が変化(加工)して肉と同じようなものに成った食べもの(栄養価の高い食べ物)。初期の人類は狩をして肉を中心とした食べ物で生きていたと思われる。豆腐とは豆で作られた肉(腐)に匹敵する食べ物と言う意味である。 ■ 【腐儒】ふじゅとは古臭さくて役に立たない学者と言う意味。【腐心】ふしんとは心悩ます。苦心。 ■ 【腐刑】とは昔中国で男子の生殖器を切る刑のこと。つまり中心(府)を成すものの肉を切る刑のこと。死刑につぐ重い刑が腐の刑である。腐刑のことを宮刑とも言う。王宮関係者の男性の刑執行で生殖器を切除したので腐刑のことを宮刑とも言う。女性の場合は宮中に生涯幽閉される刑(宮刑)。 ■ 【乳腐】とは乳が次の物質に変化して行くさま状態(乳の二次的物質産物) ■ 【乳腐】の腐は「くされた」とは解釈せす゜「くされてない乳が変化していく次の物質」と解釈する。 ■ 【乳腐】と言う言葉は元々日本にはなく中国の言葉(漢字)である。つまり日本には乳が腐ると言う現象は無かったのであろう。乳はおっぱいから生乳を吸って飲むもので、腐れることは考えられないのである。つまり日本には乳を長らく貯める(溜める)と言う習慣は無かったのである。だから乳が腐れることはなかったので「乳腐」と言う言葉(漢字)がないのです。ちなみに【乳腐は中国の漢字で乳製品全般を指すらしい】に該当する日本の漢字は【酪】と言う字を充てられている。つまり乳腐は豆腐より後に作られた漢字と理解できます。豆腐より乳腐が先にあったならば日本でも「酪」と言う字ではなく乳腐と言う漢字を充てたはずです。そのことからも乳腐説は崩れます。★酪のつくり方は乳を沸騰させ人体の平熱に成るまで冷まし覆いを被せ一日置く。【乳酪】とは乳製品乳酸飲料やチーズやバター類。【乾酪】とはチーズやバターのこと。★漢字は元々中国で作られたものであり【腐】の意味が「固まりでやわらかく弾力があるもの」と中国では解釈するとは過去の歴史や漢字の成り立ちの経緯からして著しく合理性を欠いて居ることからも後々の国の権力者による「こじつけ」であろう。中国は広くその為に争い事が絶えず国を統一出来ず現在に至っている。シルクロードの距離や危険等々を考えても情報が錯綜したと思われる。 ★★★中国にしろ物事や言葉が先にありその物事や言葉に漢字を充てると言うのが普通であり、【腐】も身体の中心(府)を成すもの(肉、変化しやすい内臓)が変化して行くさまから作られたのである。つまり府と肉と言う漢字が先にあり【腐】はそれ等(府と肉)の文字から作られたのである。物事や言葉に漢字を充てた者はその時代の学者であったと言うことは論争の余地は無い。つまり漢字に物事や言葉を充てたのではなく物事や言葉に漢字を充てたのである。日本(大和)も大和言葉と言う言葉が先に在り 大和言葉に中国の漢字を充てた経緯 その漢字については中国の漢字を大和独自で若干変更して全国津々浦々に広めた歴史があり その経緯と同じことが 沖縄(l琉球)と大和の関係で理解出来ることは 琉球も大和から文字漢字が琉球に入る以前から琉球言葉(琉球方言)と言う言葉が先にあり その言葉に文字漢字を充てた経緯を理解する必要がある。例えば「東風風→こち→くち、風→かじと在るがその言葉は琉球方言で「くちかじ←東よりの風の事」と言う。例えば「城」のことを琉球方言では「グスク」と言う つまり後にグスクに城と言う漢字を充てている。★沖縄で腐れることを「シィーゆん」腐れているは「シィーとおーん」と言う。「シィー」は酸味を表します。「シィーゆん」とは実際は異常な酸味のことである。しかし通常腐れるとは腐敗菌が作用かることですが この場合ごはんや煮豆等々が糸を引くことで それは乳酸菌やカビ菌が作用した結果ですが 我々はそのことを発酵と言います。しかしそれを更に放置すると腐敗(腐敗菌が作用)します。この場合大和人は糸引くご飯に鼻を近づけて「くされている」と叫ぶ。しかしその現象は事実は発酵状態である。つまり発酵か腐敗かを決めることは難しい「シィーゆん」★大昔中国で「腐」と言う漢字が作られた経緯からして「腐」は大和言葉の「くされる」と言う現象の意味に近いと理解すべきであろう。【腐】は自然サイクルの中で肉が「変化して行くさま状態」と言う意味で作られた経緯を重視すべきである。つまり大和言葉の「くされる」とは肉(人間や他の動物等の死)が変化して行くさま状態である現実からして その歴史の経緯から中国では「腐→変化」を豆腐の「腐」に充てたと理解すべきであろう。 他(例えば豆腐のおからの腐渣ふさ)の腐の付く漢字等々からそれ等を理解することは容易である。【腐】とは中心(府)を成す肉が変化して行くさまその状態のことである。腐の漢字の上の位置に府(中心)がありその下に肉を配置して在る。 過去の歴史からして肉(動物の肉等々)は人間の食べ物の上位(トップ)に位置して居た経緯等々から腐の漢字が作られた経緯を理解することは容易である。 ★引用文の「乳腐 (ヨーグルト類似)」に似せて豆乳で代用したため」と言う説は もしも豆腐より乳腐(日本では酪)が先に在ったとするならば豆腐に腐と言う漢字を充てたと言う説は論理的には正しい。その説を支持したい。しかし乳腐より豆腐が先であればその説は完全に崩れる。 ★中国の乳腐が日本では酪と言う漢字を充てられて居ることから考えてその説は成り立たない。 乳腐が先であれば日本でも乳腐だったと考えるのがベターである。(漢字は中国から来た理論)よって乳腐から豆腐の腐は考えられたと言う説はありえないことになる。 ★★★発酵製品に関して【酪】と言う漢字から酒と酢の違いを説く。【酪の酉】は(さけ)と、音を表し。【酪】【酒】【酢】の漢字から推察して大昔古来人は【酒】と【酢】と【酸】は判別せずに同じ位置づけであったと思われる。それはアフリカはじめ他の未開地の土人(現地人)の酒は作り方からして酸味が強いと推察出来ます。神に捧げる為の上等の酒(乳酒ちちざけ)を、乳を沸騰させちち酒を造ったと推察出来ます。古来人は「酒は神が飲むのみもの」と言う位置付けであったので酒を(酉を神のサケにした)と思われる。 つまり酉のさけは神のサケで人間が飲むさけは水(さんずいのサケ)で出来た酒にしたと思われる。人間が酒を飲み神に近づく又は酒を飲み神と話す、と思われていた。 つまり神に捧げるさけ(神のみが飲むさけ、さけは神が飲むものであった)の壷つぼから酉(さけ)の漢字は作られたと推察致します。その酒が後々になり酢になったと推察致します。そして後々に成り乳酸飲料の乳が発酵した製品に対して【酪】と言う漢字を充てたと推察出来ます。つまり日本では豆腐の腐と、乳酒の酪、乳酪(乳酸飲料)に対して腐の漢字を使用せずに酪と言う漢字を充てている。 つまり中国でヨーグルトはじめ乳酸飲料等々チーズやバターのことを豆腐の腐含めて、乳腐の腐に対して「固まりでやわらかく弾力があるもの」と解釈することは歴史や酒の造られた経緯からして著しく矛盾である。腐に対して「固まりでやわらかく弾力があるもの」と解釈して居るとするならば、後の権力者による「こじつけ」と推察出来ます。★但し腐くされたものが結果「」「固まりでやわらかく弾力があるもの」に成ったと理解すれば合点が行くのだが。その説は変化(仮に肉がくされた)の結果の状態である。 ★ 酒とタバコは人類最大の悪習慣である。酒(アルコール類)は本来神に捧げる為の水であったが、人間が神に近づく為に飲んだのであるが、何時しか快楽の為ののみものになった。タバコも厄払いに使用したものであるが、これもまた神に近づく目的で吸い(飲む)だして、快楽の為に使用するようになったのである。例えば、タバコの場合、普段はタバコを吸わないユタ(ノロ)が病を悪厄払いする時、タバコを吸い、胸に吸い込むのではなく、患者にその煙を吹きかけるのである。つまり、その場合焚き火をたきその煙で菌(ウィルス含む)を追い払ったのであろう。つまり、タバコ(大昔は木や草や根から作る覚せい剤みたいなもの)を吸い朦朧とした状態で、患者を占い、悪厄払いしたのであろう。 ■ 腐蝕とは物質が酸化変化 肉類がうじ虫や微生物等々に食(蝕)われて違う物質に変化して行くさま状態。 ■ 腐食とは→腐れたものを食うと言う意味ではなく何かに食われて「二次的ものに変化して行くさま状態 もの(例えば鉄等中心(府)を成すもの肉→腐)が何者かに食われ変化し錆びて減って行く状態。 ■ 「腐渣ふさ」とは、とうふ(豆腐)の粕(おから←うのはな)と言う意味→おからのこと。 ■ 豆腐と言う文字を分解すると「豆→まめ→生きて居る」と「腐→くされる くさった」に分かれるが字と字が合体した時は文字「腐」は必ずしも「くされる」とは解釈せずにそれをその意味を否定することがある。豆腐とは豆が変化(腐)して出来たもの。豆腐とは豆が変化して肉みたいに成ったもの。 ■ 腐敗腐蝕腐食の場合の「食 蝕」は「くう→くされたものをくう」とは解釈せず なにものかに「負けて変化くわれるくわれて(食)変化する(腐)」と解釈するのが妥当である(豆腐も豆がくされた又はくされた豆とは解釈しない)。腐敗腐蝕腐食とは物体物質がなにものかに負けて食われて変化して又は酸化していくさま状態であり「腐れたものをくうとは解釈しない」。腐敗とはなにものかに負けて(勢力争いに負け食われて)違う物質に変化していくさま その状態を言う。この「腐植腐食」の言葉から理解出来ると思うが「豆腐」も「豆が腐れた又はくされたまめ」とは解釈せずに豆が変化して行く「末路」を表わしている言葉(単語→漢字)とご理解ください。この腐食腐植の場合と同じで日本人は数千年も昔から豆腐のことを「豆がくされた」と教えられてきたがそれは間違いで「豆が変化して行く様→豆の末路」を表わした漢字であることをご理解ください。 ★腐食の場合の「食」も「くされたものを食う」「くう」とは解釈せず何者かに「くわれる」と解釈するのが妥当である(豆腐も「まめが腐れている」とは解釈しない)。人間は大昔から肉を得る為に肉の糧を得る為に食うか食われるかと言う状態であったと理解できる。腐の刑の腐(精嚢)も肉である。 ★★★豆腐の腐もまめがくされるとは解釈せず「くされないくされてない」と解釈するのが妥当である。 つまり豆腐とは豆から出来た肉(腐)みたいなものと言う意味である。 豆腐も豆を煮るが豆腐のことを煮豆と言わないのは 豆腐は豆を加工(殺す→死→腐)して煮るのである。 でぇ 豆を加工する過程でカス粕→おから(腐渣)が出来る。たぶん初期の豆腐はおからを除かなかったと思う。 でぇ その後におからを除いたもの豆乳が出来たと思われる。たぶん豆腐の初期は四角ではなく丸いいびつな形であったであろう。何故ならば木箱が無い時は木箱を使用せずに、さらし布に入れて石を載せるだけで豆腐は意図も簡単に出来る。四角に成った経緯は形と分量や計量と搬送の為に四角に成ったのであろう。 ★★★ では何故豆腐は四角い形かは、過去の文献にはその理由は無いが 木箱に入れて水分抜きすることは効率が悪いにもかかわらず四角にした理由は 分量の正確さをだし 大量に生産して 販売する目的で四角にしたと思う。 自分のうちで食べるだけであれば木箱を作ってまで木箱に入れる必要はない。 豆腐の素とうふんゆうを木箱に入れず布だけで水分を抜いた方が水分を抜く効率は良い。木箱は下部の方だけに溝穴が開いていて側面と上部は穴がないスノコ式で水分吐けが悪い。溝穴の隙間は約5mm程度である。 豆腐を水分抜きした後その水分抜き用の溝穴が若干尖るのでその尖りに包丁を入れて豆腐を均等に切れる。水分抜きの隙間の溝が境界線になり そこを切ると豆腐は均等に分裂(同じサイズの豆腐)が出来る。つまり四角い木箱は水分を抜く為だけであれば不必要である。つまり豆腐が四角になった理由は輸送運搬等収まりがよく 均等に分離分別する為と理解すべきであろう。だいぶ昔、当家では箱が無い時はさらし布風呂敷に入れその上に重石の石を置き水分を抜いた。出来上がりは当然饅頭の形に成った。 豆(種類)は植物としての生きものでありその豆を加工して(殺して→死→腐)煮て食う我々も生き物です。生きている豆を殺し死豆にして豆腐となる。でぇ豆腐の腐(死肉→動物を殺した肉→死肉)は死肉であり 豆腐の腐の漢字の意味は豆から出来た豆腐は肉に匹敵する美味い食べ物と言うことで腐(死肉)という漢字を充てたのである。腐を分解すると府(中心を成すもの)と肉から出来ている。肉は動物を殺して出来た死肉のことである。【腐】とは=【生】→【死】→【腐】→【土】→【生】→【死】→【腐】→【土】 生きて居ると言うことは腐らないと言う意味であり 死とは違う次の物質に変化(腐)していくさま状態。自然の摂理からそれ等を理解することは容易である。 ★日本では数千年前から「豆腐とうふ」を「豆が腐れた」と解釈している文献のみで 呆れて仕舞う。百科辞典は近年になって人間が記載したものであり人間は過去の間違ったデーターをも証拠として信じ過ぎる。過去のデーターは時の独裁者か権力者か時の金もちが記載したものであり必ずしも正しいとは言えない。コンピューターで言えば間違ったデーターのソフトをそのまま数千年もそれを正しい証拠と信じて来た経緯と同じ。これ等は過去から現在まで日本の教育システムに何らかのゆがみがあると言う証拠である。つまり 時の権力者と時の金持ちが押しつけた教育システムであろう。過去から現在に至るまで教育システムには過去のデーターが正しいか否か吟味する機関が無いと思われる。 紀元前大昔から豆類(種)は、永遠に腐らない「甦る」と信じられて居た信じられて来た。 豆類(穀類の種)そのものを動物が食っても糞と一緒に出て来て又蘇る 豆(種)は永久に腐らない。豆腐側から豆を見れば「豆は生きて居る」ことに成ります。だから豆は腐らない。「豆は腐らない」 が しかし豆を変化(加工→人間が生きる目的の為に豆を殺す)させた物は腐れ易い腐れない豆を加工(生→殺→死→腐)する豆腐は朝早く作りその日には腐れます。 ★肉も乳も生きて居る(元の生き物)時は腐れない が しかし... ★殺したもの(死んだもの)肉類や乳類はじめ蛋白の高いものは腐れ易い。 ★いろいろな文献から【腐】は肉類が腐れやすい様から考えられた漢字と思われる。 ★豆も殺(加工して)してはじめて死であり「腐」の道へと向かいます(豆が違う物質へ変化して行くさま) ★琉球方言ではある植物(トウガンやかぼちゃ等)に対して切って食うことを「殺して食う」と言う。神代のむかしから物の哀れ 生き物の哀れを人間はつねに理解して居た。 おそらく世界にはそのような例え(植物を切る斬ることを殺す)をする国は他にもあるばずです。もしかして日本国内にもあるかもしれない。 例えば...木の実(種)は落ちて芽を出し木の二世が誕生(蘇る)する。秋冬に成ると木の葉は落ち腐れて土になりそれが腐葉土になりその腐葉土は木の栄養(蘇る)と成る。つまり種(豆)→生→死→腐→土 と言うように永遠に繰り返す種(豆)や腐のさま。豆腐と言う漢字の成り立ち。故に豆腐は「豆が腐れた」とは解釈しない。 ★大昔から木はじめ植物も生き物と解釈して来た経緯をご理解ください。 ★ちなみに大豆のことを沖縄(琉球方言)ではトーフマミ(豆腐豆)と言う。大豆→トーフマミ(琉球方言) ★★豆類はじめ種は水分を吸ったら発芽の目的で豆自体からビタミンや糖類(オリゴ唐)等々を出す不思議。 種類(豆や米等)が水分を吸うと種自体からビタミンや糖類を出すかと言うと発芽環境を腐敗環境にしない為、種類はビタミンや糖類を出すのである。そのことによって種(豆や米等々)の周囲には「乳酸菌」や「酵母菌」等々種にとって有益な菌が集まるのである。 その自然の摂理は種(豆)自体が腐れやすい地帯に落ちたとき豆自体が腐れない目的で豆が水分を吸った時豆己自体からビタミンや糖類(オリゴ唐)等々を出し 自身の置かれた所を腐敗から豆自身の腐敗を防ぐ目的で周囲を腐敗菌より優勢にする為 豆自身の発芽をスムーズに行う目的で豆自体からビタミンや糖類(オリゴ唐)等々を出すのである。←ただし その理論(説)はbigpapaが趣味としている微生物理論からであり世間に認められた理論ではありません 悪しからず。 つまり豆は生きて居るのであり「豆腐」と言う漢字の解釈が「まめがくされた」は自然の摂理を理解してない者の解釈であり「まめがくされた」と言う解釈は正しくないことは明らかである。 ★水に漬けられた豆は自身の発芽と思い自身の2倍に膨れ発芽体制に入るのである。その発芽体制になった豆を人間が殺して(加工して)食うのである。 ★ 水分を吸った時豆はじめ種類がビタミンや糖分を出すと言う習性はすべての種に当てはまる訳ではないが bigpapaが沖縄出身と言うことでこの理論が成立って居ることの一つは 例えばニガウリ(ゴーヤー)が熟れたらゴーヤーは自然に割れて中の種の周囲は真っ赤になり種の周囲が甘いゼリー状なものが出来る。つまりゴーヤーは最初から種の周りに糖分と目立つ真っ赤な色を出すのである。これはゴーヤー自体が苦いので子孫を残す為何者かに種(種の周囲の赤くて甘いゼリー)を食べられて再生すると言う自然の摂理であろう。 ★大昔から、木はじめ植物も生き物と解釈して来た経緯をご理解ください。 肉や乳は二次的産物であり 腐るも二次的さま→二次的状態。 腐るは 肉が腐敗する様から自然の摂理(自然現象)から「腐」に成った。 つまり「腐」とは次の物質へと変化して行く状態 二次的様を表わす。豆の二次的状態が豆腐。 ★ もしも豆がくされて(かれて死は水分が無い状態)居るのであれば豆は水に漬けても膨れる(発芽準備で2倍に膨れる)ことも無いし、くされた豆では豆腐を作ることは不可能である。この事からも豆腐をまめぐされ、くされた豆と解釈することは論理的に合理性を欠いて居る。 ★つまり 豆腐とは「豆が変化し次の物質に成ったさま状態」←まめがくされてない豆腐 ★★故に豆腐を「豆がくされた」と解釈することはとんでもない間違いです。豆は腐らない。豆(たね類)は永遠に生きる。それに豆腐と納豆の逆説論争の件も、日本の義務教育には不備が多過ぎるとしか言いようが無い。世間で「豆腐」と「納豆」の漢字は逆ではないかと言う知識人や教育者を交えての論争自体嘆かわしいことである。 しかし日本では千年のむかしから豆腐を「まめぐされ くされたまめ」と解釈して来た経緯からして知識人や教育者を交えての論争は自然な成り行きかもしれない。 -----ここで豆腐のことを休んで 頭の体操 コーヒータイム-------------------- ★★★ 「表現の自由」に関しても日本の憲法学者と教育者や知識人は「表現の自由は制限出来る」「表現の自由には制約がある」と 教科書と憲法の解説書物等々にはそれ等の理論だけであり 「表現の自由は制限出来ない」と言う理論の書物は、一冊もない。なぜ日本人は基本的人権の重要なところを逆に解釈するのか。呆れて仕舞う。 ★ 憲法が言う「表現の自由はこれを保障する」とは 保障した件(保障した範囲)は制限しない 保障した件(保障した範囲)は制約がない と憲法にはっきり記載してある。 表現の自由とは→保障範囲が事前に決められて居る行為行動(単に表現の自由)のことであり その保障した行為行動が制限出来ないことを、国民に知らしめる為にわざわざ自由と言う単語の意味を借りて 保障した行為行動のことを「表現の自由」と言うのである。 そして憲法は表現の自由とは→「ここからここまでですよ」とはっきり保障範囲を記載してある。「表現の自由とは公共の福祉を害しない範囲」「表現の自由とは濫用しない範囲」と言う意味の記載が在る。表現の自由とは表現の解放のことである。 ★ 憲法は「表現の自由が事前に制限出来ない」ことを、ハッキリ明記して在る。 憲法学者が言う「制限出来る」「制約がある」等 それ等は事前の事柄であり憲法は事前抑制(検閲禁止→事前検閲)を禁止して居る。 検閲禁止条項からも表現の自由が制限出来ないこと 表現の自由には制約が無いことを容易に理解出来る。 ★ 世間一般に知られた辞書等による自由の意味 = 他からいっさいの束縛を受けない。 つまり 保障した行為行動は束縛できないので そのことを保障した自由(保障した行為行動)と言うのである。 つまり 如何るどんな保障でも保障するには必ず保障範囲が記載してある。 でぇ 「保障する」とは保障範囲内のことを保障するのである。 つまり 保障範囲内には制限も制約もないのであり 制限とか制約とは保障する前の段階の保障範囲を決める時の事柄であり 制限も制約も事前の事柄である。 「制限出来る」も「制約がある」も事前の事柄であり それ等は事前抑制であり 憲法は事前抑制を禁止している。それに六法全書には行為行動がなされた、結果の悪しき行為に対して、罪と罰を科す、と記載してある。 日本国憲法には表現の自由(単に行為行動=表現行為)を事前に抑制してよいとは何処にも記載がない。 ★ 憲法が保障しているのは 我々国民の行為行動を保障しているのであり 保障した行為行動は制限しない とわざわざ自由と言う言葉の意味を借りて制限出来ないこと表現の自由には制約がないことを国民に知らしめているのである。 ★ つまり 公の場で他人のプライバシー(憲法が言う侵害違法行為)に関して書きたてることは「濫用」にあたり その行為は保障した表現の自由とは言えない。プライバシー侵害行為は保障範囲から逸脱している。 ★ 憲法には 実行された行為行動が「保障された表現の自由」であるか否かは行為行動の結果を見て国が判する と言う意味のことを記載してあります。 つまり 何処から何処までが ここからここまでが 保障された表現の自由であるか否かの判断は時代と共に変化するからである。 つまり表現の自由の限界の境目は国が決めると言う意味の記載があります。何故ならば表現の自由の限界は時代と共に変化するからである。 憲法が言う表現の自由とはその限界は「公共の福祉に反しない範囲」「濫用しない範囲」と わかり易く記載してある。 但し 憲法には表現の自由の保障範囲の限度限界の境目の判断は国が判断すると言う意味の記載が在る。 つまり 「公共の福祉に反しない範囲」「濫用しない範囲」と言う限度限界の境目は国が判断するのである。 ★ つまり 憲法が保障しているのは自由と言う言葉ではなく 保障範囲が事前に決めて在る保証した行為行動のことをわざわざ自由と言う言葉を借りて 保障した行為行動が制限出来ないことを国民に知らしめる為に 保障した行為行動の事に対して自由と言う言葉を充てたのである。 ★ 牛馬の牧場の柵枠内を 憲法が言う「保障範囲内」であり 柵枠、外を保障している訳ではない。 柵枠の保障範囲内に「制限」や「制約」がある訳ではない。 牛馬牧場の柵枠杭のことを憲法が言うところの「公共の福祉に反しない範囲」「濫用しない範囲」に該当します。 ★★日本国憲法を押し付けた戦勝国の言葉(英語)から「表現の自由は制限出来ない理論」を説く free→ 自由 解放 無料 無条件、気まま 心のまま 身勝手 他からいっさいの束縛を受けない。 free kick→ 何人も妨害することが出来ないキックを行う権利であり 「表現の自由」も何人たりとも 妨害する(制限や制約と言う妨害)ことが出来ない権利である。 free kickとはボールを蹴(キック)る自由(free)は保障されているがボールを手に取って 投げる行為行動を保障している訳ではない。 free dial→ 無料で無条件に電話する権利を保障された通話方法で 受信者側が無条件に通話料金を支払う方式。保障された表現の自由も 何人たりとも制限出来ない(制約を設けてはならない)国民に与えられた永久の権利である。 free zone→ 安全を保障された地域内のことで地域外は保障してない あくまでも保障した地帯(地域内)のことである。別の意味で税を免除された地帯地域。 freedom (Liberty) 免除 自由の身→ 解き放つ(free)→ 解放(free)→ 保障された自由 freedom of thought→ 「思想の自由」→ 「思想の自由は何人たりとも制限出来ない理論」から 「表現の自由は制限出来ない」ことを容易に理解出来る。 ★ 憲法が言う「表現の自由」とは=国が保障した行為行動(保障した表現行為)のことである。 保障するとは保障した件保障した範囲は制限しない、保障した範囲には制約がないと言う意味である。日本国憲法が言う「表現の自由はこれを保障する」とは「表現の解放はこれを保障する」と翻訳解釈出きる。表現の自由とは表現の解放のことである。 ■ 基本的人権(表現の自由)は制限出来ないし基本的人権には制約(無制約)は無い。 ★世の中の論理は勝者の論理であり勝者が国の決まり事は作った勝者が国を作ったのである。 ---------------------表現の自由に関してのコーヒータイムはココまで------ >> 「腐」という語は、もともと固まりでやわらかく弾力があるものという意味で使われていました。 ★ 漢字は元々中国で作られたものであり【腐】の意味が「固まりでやわらかく弾力があるもの」と中国では解釈するとは過去の歴史や漢字の成り立ちの経緯からして著しく合理性を欠いて居ることからも後々の国の権力者の「こじつけ」であろう。肉が食べ物の代表の時代獲物を狩して来たら短時間に解体して内臓を取り出して皮と肉を早期に干さないと腐れます。つまり肉とは動物の肉も人間の肉も体の中心(府)を成すものと言うことであり、早期に解体し臓器等々を先に食べ肉と皮の部分は干して保存したのです。つまり狩してきた獲物が肉に成る工程、その肉の変化のことから「腐」と言う漢字は出来たのである。 腐を「固まりでやわらかく弾力があるもの」と言う解釈は後の「こじつけ」であろう。その事は他の漢字(言葉)に「腐」を充てた漢字からも容易に理解出来ると思います。「腐」の漢字が充てられた漢字(言葉は)はすべて「変化して行くさま」を表しています。「豆腐」のみが腐を「固まりでやわらかく弾力があるもの」とは著しく合理性を欠いています。豆から出来た食べ物にわざわざ「固まりでやわらかく弾力があるもの」に腐を充てる必要は無く、とうふにそう言う形容(固まりでやわらかく弾力があるもの)であるならば他に当てる漢字はいくらでもあるはずです。腐と言う漢字は体の中心(府)を成す肉(臓器)が変化して行くさまから考えられたことをご理解ください。採って来た獲物は早く解体して内蔵(肉)を取り出す必要があったのです。そうしないと獲物はくされ腐れ(変化)てしまいます。 しかしなにはともあれ「豆腐」は中国でも日本でも「豆腐」と言う漢字は同じです。つまり豆腐と納豆が逆か否かが問題である。豆腐は中国で作られた漢字です。 ■ 上記「表現の自由」のことからも時の権力者による「こじつけ」は存在したと容易にご理解出来ると思います。腐を「固まりでやわらかく弾力があるもの」との解釈は後の「こじつけ」と容易に理解出来るはずです。腐を「固まりでやわらかく弾力があるもの」と解釈することは腐敗や腐食や腐渣や腐植土や腐の刑等々の腐(府の中心の肉と言う部首の肉)の漢字が作られた経緯と著しく合理性を欠くことに成る。腐を「固まりでやわらかく弾力があるもの」との解釈は後の者の身勝手な「こじつけ」であろう。 ■ 表現の自由に関して詳しくは下記のムページをご覧ください。 ★1 http://www1.ryucom.ne.jp/papa/newpage1freedom.htm ★2 http://www.ryucom.ne.jp/users/b/newpage7.htm ★3 http://www1.ryucom.ne.jp/papa/newpage004.htm ■ 日本の憲法学者や知識人や司法や学会やその関係者の書物はすべて下記URLの内容と同じである。 ■ http://uno.law.seikei.ac.jp/~annen/con07-02.html ← 憲法学者や学会の「表現の自由論」はココ。 ★これ等の理論はbigpapaが「数学算数方程式」「言語学英語含む」「微生物学」「歴史」から導いた理論である。 例えば...「殺」1字の時はころすと解釈するが 「殺人」の2字の場合は 「ころされる人が→ひとがころされる」と解釈す。 「殺害」とは「人をころす」と約するが 「殺害される」の場合は「人がころされる」になる。 「殺害」するの場合は←加害者で 「殺害」されるの場合は←被害者になる(同じ漢字を逆の意味に使用) ■ 「腐」の場合も1字の場合はくされると解釈するが 「豆腐」の2字に成ったら「まめ くされない」と解釈する方が豆腐(豆腐の材料は生きた豆)の成立ちからそれを理解することは容易である。 死はくされるに辿る。【生】いきるは蘇ると解釈する。「豆腐」←「くされてない豆」←「生きた豆」←「豆腐の材料は生きた豆」を加工して出来た食べ物が→豆腐 つまり豆がくされた(くされたまめ)とは言わない。 ★豆腐→ 「豆は腐る 豆は腐らない」「腐れた豆 腐れない豆」と解釈出来ます が しかし... ★豆腐の腐もくされるとは解釈せず「くされない」と解釈するのが妥当である。 しかし日本では数千年も前から豆腐を「豆が腐れた腐れた豆」と解釈して居る(呆れて仕舞う) 人間は単細胞から進化を繰り返してきたのでいまだ「洗脳」され易く「自己洗脳」し易いと理解出来ます。豆腐とは 永久に腐らない豆を加工(殺す)したもので 腐れやすいものに成ると言うさま状態。つまり 豆の辿る道筋(豆の運命や万物の繰り返す様)を表わしていると解釈する方が妥当である。 ★腐渣←ふさとは、 くさったかす→ とうふの粕(おから←うのはな)と言う意味。 おから(うのはな)もその日に腐れます。しかし豆(種)の状態では腐れない。 しかし「腐渣」の「腐」の場合は「くされゆく」と解釈する。「腐渣」とは没し行くさま 何物かが(豆の絞り粕が)沈んで(沈殿)没して腐れているさま。「豆腐」も「腐渣」も「バターやチーズ」も「ヨーグルト」も白くて柔らかいから 後の権力者が「「腐」という語は、固まりでやわらかく弾力があるもの。」とこじつけたと推察致します。言葉や漢字は歴史(権力者★世の中の論理は勝者の論理であり勝者が国の決まり事は作った勝者が国を作ったのである))が変える。 ★腐渣←ふさと言う漢字からして「納豆」と「豆腐」の漢字が居れ間違ってない事を雄弁に物語っています。★「納豆」は豆腐が出来た後々に成って考えられた食べ物です。 --------ここからAA(ascii art)について2回目のコーヒータイム--------------- ★「こじつけ」、それと同じ事が2ちゃんねるの掲示板ではJIS文字絵をAA(ascii artアスキーアート)と決めつけて、それを世間も認めて居る同じ現象が過去から現在に至るも「こじつけ」は現実に行われている。AAとはアメリカの掲示板に在る文字絵(text art)の事である。 日本の掲示板のプロバイダーの文字変換システムは**JIS code文字であり他のcodeAA(asciiart)が入って来ても必ず強制的にJIS半角文字に変換して仕舞うのである。故に日本の掲示板にはAA(asciiart)そのものを掲載することは不可能である。アスキーには全角文字とか半角文字と言う文字の大きさを判別するシステム規格はありません。わかりやすく言えばアスキー文字はwindows英語版が継ぎ、windows日本語版はJIS文字である。 ★あなたが見て居る日本語掲示板のブラウザから「表示(V)」「ソース(C)」をクリックしてください。下記のような必ずいずれかのタグが現れます。 ★meta http-equiv=Content-Type content="text/html; charset=x-sjis">★ ★meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">★ ★meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=x-euc-jp">★ 2ちゃんねるはじめ日本語掲示板には必ず上記のようなデフォルト「使用可能文字形態を知らせるタグ」が設定してあります。このタグの意味は「この掲示板はJIS文字でしか描き込み出来ませんよ!」と言うお知らせのサインです。つまりどんな(AAアスキーアート)文字形体が入って来ても「すべてJIS文字に変換(翻訳)します。」と言うことを意味しています。つまり2ちゃんねるはじめ日本語掲示板に在る文字絵はAA(アスキーアート)ではないと言う意味である。つまりAA(アスキーアート)は日本語掲示板には存在し得ないのである。★asciiアスキーとは1バイトの文字記号数字(通常アスキー文字と言う)から出来ているアメリカの通信コードである。codeコードとは文字記号数字のことである。 -----------JIS文字についてコーヒータイムおわり------- つまり「豆腐」と「腐渣」は いずれも豆を加工(殺す)した産物で変化して(腐れて)いく様(状態→自然現象→成るゆく様)を表わして居る。 乳も元の肉体の中では腐らないが 乳という二次的産物になった時点から腐れはじめる。人間(生きて居る)も死んだら(肉状態 肉食動物からうじ虫から微生物から見れば死体も肉)腐れる。 ★豆(種類)は熟れた時収穫します しかしサヤが割れて豆が飛び出て畑に落ちたら又蘇る(生きる)と言う無限のサイクルを繰り返します。つまり 豆は永久に腐らない(豆腐←豆は腐らないと解釈する) ★つまり豆が変化したもの(豆腐)を人間が食べて胃腸を通して糞となり腐れる。豆(穀物)を加工して(殺して)食べて生きると言う永遠に続く自然サイクルの様を表わしていると解釈するのが妥当であろう。 上記の引用文書過去の理論からも理解出来ると思うが我々は数千年むかしから豆腐を「豆が腐れた」「腐れた豆」と解釈して来た。言語学だけでは「漢字言葉単語」は正しく語れない とご理解出来たと思います。 我々人間は単細胞から進化しものだから 一斉に一方向に行動すると言う習性をいまだ引き継いでいるめに「豆腐」を「まめがくされたもの」と最初解釈した者に同調した経緯。「豆腐」は自然の摂理から「豆が変化(腐)したもの」「まめはくさらない」と解釈する方がごく自然です。 ★ つまり「腐」を多くの言葉に使用していることからも 従来の諸説は間違いで bigpapa説が正しいとご理解いただけると思います。「豆腐」「腐渣←ふさ」「腐食=腐蝕」「腐植」 つまり 豆ふに「腐」と言う字を充てたということは大変重要な意味があるのです。 豆と言う生き物を殺して(加工)死に(腐)行くもの変化(腐)していくものを表わしたのが「豆腐」と理解されたし。 生き物(豆)を殺して(加工煮る)食う訳だから人間は自然の摂理に感謝し自然現象を神として崇めたと思われる。 ■ つまり 豆から作るとうふに「腐」と言う漢字が一番ふさわしい文字である。とうふに「腐」の他に充てる漢字はあり得ない。「腐ふ」が一番ふさわしい漢字である。「腐」に諸説があるとの説は 後になって権力者(中国人又は日本人)が「こじつけた」とも理解出来ます。「腐」の原義、意味を→「固まり やわらかい 弾力ある」と言う説はまさに後から付けたこじつけと思われる。■つまり【腐】の総意は生き物の変化していくさま、生と死に関したものとご理解ください。 ■ 【腐】は色とか形(固まりでやわらかく弾力があるもの)ではなく 動植物の生死に起因し 我々人間は動植物を殺して食うて命をつなぐと言う嵯峨を有して居る為 中国に存在する人間は善である説「性善説」は間違いで「性悪説」がより正しいとハッキリ言えます。人間は食うものが無くなると 同じ人間を殺して又は死んだ人間をも食うと言う癖(欲)を有しています。 そのことは過去の歴史がそれ等を証明して在ります。 そのことは他の動物でも同じです。つまり動物には欲と言うものが遺伝子として入っているからです。その欲を和らげるのが宗教又は道徳教育です。 でぇ【食う】を満たすと 次は【性欲】に走ります。 つまり人間の遺伝子はそれ等を受け継いで現在に至って居るのである。戦争がおこる事もその為です。欲の塊が人間とご理解ください。 ★ とうふの腐は豆を殺し(加工煮る変化)死して→【腐って】違うものに変化していくさま状態の「腐」である。「固まり やわらかい 弾力ある」と言う説はまさに後から付けたこじつけであろう。 つまり 「固まり やわらかい 弾力ある」と言う説は 豆腐の粕おからの「腐渣ふさ」と言う漢字の腐で矛盾する。むかしの人と現代人の自然の摂理に対するものの見方が違うとご理解ください。「食べ物やすべてのものは自然がくれた神様がくれた」とむかしの人は考えたと思われます。大むかしの人は植物も動物も生き物として捕らえていたと考えれば「腐」の正しさが理解出来ます。 ■【腐植】とは→土壌中に動植物の遺体がたまり腐蝕分解され黒色化したもの部分。→腐植土 ■【腐蝕】とは死体(動物肉魚肉)等をうじ虫が蝕して朽ち果てる(分解変化)さまも とご理解ください。 ■■■豆腐の作られた過程経緯を推察... 沖縄では豆腐はほとんど毎日朝買ってきて食べるもので 豆腐はむかしから農家では 私宅で作って居た。大昔の人間は現在と同じ方法で 豆を臼で挽くか臼杵で砕いて居たと思う。 砕かれたものをおからを除かずなべに入れ水を加え塩味(又は海水)を加え煮たと考えられます。 私はその方法で大豆を食べることが大好きです 勿論それに鰹節や油や味噌ネギ等々の味をつけます。 勿論おからを除き白い豆腐になるまでは時間を要したと考えられます。豆腐は意図も簡単に作れる豆加工品だったと推察します(大昔の人間でも簡単に作れたはず) 米から餅を作るより豆腐は意図も簡単に出来ます。米を粉にするより砕くは意図も簡単に出来ます。 元祖豆腐は豆を砕いて煮て塩味(塩が無ければ海水で良い)をつければ立派な食べ物になる訳だから。 豆腐の元祖を作った者は百姓と推察致します。美味しくてこんな簡単な豆の二次製品は他にない。 発展途上国にはおそらく元祖豆腐が現在でも食べられていると推察致します。他府県、大和にもあるはず。 >>乳腐(ヨーグルト等.乳を発酵させたもの)の代用品だったから等の説があります。 その説を支持したいが乳腐は日本では酪であり豆腐の方が先と言うことになる。もしも乳腐が先であれば日本でも酪は乳腐であったはずが現実は「酪」である。つまり酪の後に乳腐が出来たと思われる。更に豆類や木の実類が数万年前から食されて居る経緯からして「乳腐」は豆腐より後に出来た漢字と思われる。「乳」は動物が家畜化してはじめて大量に得られるものです。 【乳腐】をチーズと仮定して チーズと豆腐は半固体を絞ると言う過程は同じである。 しかしチーズの場合は豆みたいに煮るのではなく乳を固形分離し熟成発酵させたものである。しかしいずれにせよ【腐】は動植物の身体やその変化して行くさまや生死の成り行きに関係して居る。 【乳腐】とは乳が次の物質に変化して行くさま状態(乳が熟成発酵し二次的物質へ変化した産物) 【乳腐】の腐は「くされた」とは解釈せす゜「くされてない乳が変化していく次の物質」と解釈する。 【物が腐】くされるとは腐敗を意味し 腐敗とは何物かに負けて食われて消えて行く変化していくことである。 【豆腐】は植物製品で【乳腐】は動物製品だから 完全に別でありその説は考え難い。豆腐は何処の貧乏農家でも簡単に作れたと思われる。豆腐はいろいろな穀類から作れる。終戦直後まで豆を挽く臼は各家庭に在った。現在は電気ミキサーがその代用品である。 ■ヨーグルトやチーズや納豆は発酵品であって腐敗の「腐」ではない。発酵菌と腐敗菌は完全に別ものです。 ちなみに中国の【乳腐】に該当する日本の漢字は【酪】と言う字を充てられている。飲料乳酪の作りり方は乳を沸騰させ人体の平熱に成るまで冷まし覆いを被せ一日置く。 ■ 【乳酪】とは乳製品乳酸飲料やチーズやバター類。【乾酪】とはチーズやバターのこと。 ■ 乳は腐れ易いので己自身が腐(変化)を防ぐ目的で乳酸発酵する仕組みを持っている。 ■ 豆も己が落ちた所で腐れないようにする為己自身から糖類等々を出し乳酸発酵する仕組みを持っている。 ★しかし「豆腐」「乳腐」も同じ「腐」にご注目ください 腐の意味はまったく同じです【笑】 ■ 【腐】とは=【生】→【死】→【腐】→【土】→【生】→【死】→【腐】→【土】と 変化して行く蘇るさま、自然サイクル再生の状態。人間は自然に生かされていると思われて来た。 >>豆乳を固めた物だから(「腐」と言う字は「凝固させる」の意味もある) ★豆乳は豆腐が進化して出来たもので、豆乳は豆腐が出来た後に出来たものです。豆乳が豆腐より先と唱える者(博士とか知識人と称する者)は、実際に琉球式(古式)の豆腐を作ったことの無いものが唱えて居る説です。★現在は豆乳を固めたものが豆腐ですがそれは大和の豆腐のことです。★琉球の豆腐は豆乳を固める方式ではありません。豆腐の前身はおから(腐渣)は除かなかったはずです。 豆腐の腐が【豆乳】説は現代になってから現代人が大和人又は中国人が「こじつけた」と考えられます。それ等の「こじつけ」の経緯は日本国憲法を「表現の自由は制限出来る」と憲法学者と知識人が唱えると それが正しいと世間は認めて仕舞う と言うことからも「こじつけ」は過去の時の権力者(国に関した教育者含む)が唱えれば 世間の者はそれを信じて仕舞うと言う人間独特の性質(人間は単細胞から進化した証)である。 豆乳は細かい目の布でおからを除いたものである。初期の豆腐はおから(腐渣ふさ)は除かなかったと思います。つまり 何故豆乳か 何故豆の乳か 何故乳か 矛盾である。豆腐の原形は 豆乳ではなく 沖縄で言う「とうふんユウ(ゆしドウフ)」と思われる。 とうふんユウとは凝固剤(にがり又は海水)を入れ 箱に入れる直前の段階で半固体である。とうふんユウを箱に入れて水分を抜いたものが豆腐である。 箱がない時はさらしと言う布風呂敷に入れて縛りそれに石を載せて水分を抜いたもの丸い歪形が出来る。 原形は半固体であり すでに乳とは思われない。 つまり最初から半固体であり乳には当てはまらない。 ならば 豆乳からとすれば とうふと言う漢字を「乳固」「豆固」にすべきと理解するが。しかし実際はとう腐と言う漢字である。 沖縄ではとうふんユウ(ゆしどうふ)は豆腐とうふと並べて売られている。値段も豆腐とほとんど同じである。 つまり とうふんユウ(半固体でとうふを砕いたような形)は豆腐の原形であり豆腐の元祖と思われる。 とうふんユウから水分を除いたものが豆腐で とうふんユウはお湯?入り(水抜き前)豆腐のこと←お汁。 勿論豆腐にお湯を入れたのではなく この場合のお湯とは豆腐を作る過程の終盤での熱い水分のこと。 ユウとは沖縄の方言で言う「お湯」と言う意味である。とうふんユウとは豆腐になる直前 湯抜き(水分)前のもの。 ★★★とうふんゆう(ゆしどうふ)とは水分を抜いてない豆腐のことである。 豆乳は豆腐が出来て更に後の製品であり 豆腐が先であり豆腐の腐は豆乳からの説はあり得ない。おからの「腐渣」からもそれは言える。腐渣とはおからのことである。豆腐とおからは一対です。 豆乳はおから(腐渣)を除いたものであり豆腐の後に考案れたものであろう。 初期の豆腐はおからは除いてなかったと推察致します。 現在の豆腐は四角だが初期の豆腐はおから入りで丸いいびつだったと推察致します。現在四角い木形がない時はさらし布のみで丸く作っていた経緯 当家では丸い豆腐を作っ経緯あり。豆腐を作るのに四角い木箱は必ずしも必要ではない。 ■ 他府県のお方は「とうふんゆう ゆしとうふ」と言う豆腐の元(素)を知らないと思うので とうふんゆうに似た食べ物を体験してください。 まず味噌汁を作る要領で鍋に水を適量入れて沸騰させます。それに卵3〜4個くらい入れて すぐかき混ぜて30秒くらい沸騰させ火を止め それに適量味噌又は醤油を入れて出来あがりです。 あっネギかニラを入れれば更に良い。 独身時代よく作ったものです【汗】 みなさんもお験し下さい。 ■ちなみにとうふんゆう(ゆしどうふ)は 豆を1日中水に漬け ふやけた豆(豆は蘇る為に水を吸い膨れ芽を出す準備状態←豆は芽を出す目的で水分を吸って発芽の目的で豆自体からビタミンや糖類(オリゴ唐)等々を出す←人間からだまし殺されるとは思ってない豆は膨れて大きくなる←そのまま畑に蒔けば芽を出し蘇る状態の豆←人間に殺されるとは思ってない豆)を電気ミキサーですりつぶし それを煮れば出来あがりです。 もしもおからを取り除くのであれば煮る前に 布で絞って濾してやればおからは取れます。★豆腐を作りたかったらとうふんゆうをさらし布風呂敷に入れて絞れば豆腐の出来あがりです。豆腐は意図も簡単に出来ます。 あっ 凝固させる為には「にがりか お酢か 海水」を煮終えてから入れてください。それを布袋に入れ袋に石を載せて水分を除くと出来上がりです。 ■■■ 豆腐を作る時 他府県の豆腐の作り方と沖縄の豆腐の作り方の決定的違いは 他府県では煮てからおからを濾して除くが 沖縄の場合は煮る前におからを濾して除きます。 おそらく豆腐の作られた初期は沖縄方式であったと推察致します。 その理由は、煮る前(生絞り)におからを除く方が 熱に対して火傷に対して安全である。素地を煮て さまして(冷やして)から絞ると言うことはそれだけ腐れる時間が短くなることを意味します。 沖縄では煮たら素早く箱に入れて形を整え 販売所では熱々状態で売られています。沖縄の豆腐は他府県みたいに水に漬けることはありません。沖縄の豆腐は水分を抜く時に重い重石をする為に豆腐が固く出来あがります。くずれ難い豆腐が出来ます。 >> 「腐」という語は、もともと固まりでやわらかく弾力があるものという意味で使われていました。 ■ とするならば我々が使用しているくさる「腐くさる」「腐植」「腐食」「腐蝕」「腐渣おから」と言う漢字の意味が矛盾します。 すべての物体物質のことを→固い固まりの鉄鋼やダイヤから水分を含んだやわらかいもの等々までがあり物体物質が腐れる 腐れる(固まりやわらかい←とするならば)と言うさま と重なり、著しく矛盾します。腐るも→固まりわらかく弾力があるもの 物体物質も→固まりわらかく弾力があるもの、となると我々は漢字に関し なにを信じ なにを頼りに学べばいいのでしょうか。「腐る」と「物体物質」が同じ意味とは考えられません 著しく矛盾であろう。物体物質が腐っていくさま状態を → 腐→腐敗→腐食→腐植→腐蝕と言うのであって...腐敗腐食とは物体物質がなにものかに負けて食われて変化していくさま状態を言う。 腐敗とはなにものかに負けて違う物質に変化していくさま その状態を言う。 腐蝕とは物質が肉類がうじ虫や微生物等々に食(蝕)われて違う物質に変化して行くさま状態を言う。 ■ 例えば日本人は「首を立てに振る首を横に振る」と形容します。しかしその状態を見ると実際のは首ではなく首に載っている頭を振って居るのである(首と頭の境目が定かでは無い)つまりものごとの形容はまったく違った形容はしないと言うことである。つまり「首を振る」は首から上を振っているのでありその形容はつながりがあり形容のしかたは間違ってはいない。しかし「腐」を「固まりでやわらかく弾力があるもの」と形容することは「腐」の漢字が作られた経緯からして著しく合理性を欠いている。「固まりでやわらかく弾力があるもの」説は明らかに後の「こじつけ」であろう。 ★医療が未発達のむかしは「生なまもの」に関して「腐る」ので煮て食べると言う文化がほとんどであった。 つまり むかしから「腐る」ものを食うは→「病気」→「死」につながり 死体が腐るにつながる訳だから「腐る」に関しては大変重要なことだと理解すべきであろう。 単に腐るを「固まりでやわらかく弾力があるもの」ではすまされる問題ではなかったと理解致します。つまり「腐るを固まりやわらかい弾力」説は後からのこじつけと思う。 「こじつけ」の経緯は日本国憲法を「表現の自由は制限出来る」と憲法学者と知識人が唱えると それが正しいと世間は認めて仕舞う と言うことからも「こじつけ」は過去の時の権力者(国に関した教育者含む)が唱えれば 世間の者はそれを信じて仕舞うと言う人間独特の性質(人間は単細胞から進化したあかし)である。 ★みなさんの諸説となると【腐】←府の下に肉と言う字 この肉という漢字の意味が矛盾することをご理解ください。くさる(腐)とは 肉が腐敗する 肉が違う物質に変化して行くさま状態である。■【腐植】とは→土壌中に動植物の遺体がたまり分解され黒色化したもの部分。 ■■■動物も植物も起源は同じと言うことは世界共通の認識であり 動物にも植物にも水分が関係して居て それに微生物が介在し共生して居ることが理解出来るのであれば【腐】の起源がご理解出来ると思います。 豆類には根粒菌 果物には酵母菌 木の葉には乳酸菌等々植物の内部にも外部にも微生物が介在共生しています。勿論動物(人間含む)も微生物が介在し共生して居ます。【腐】も微生物が介在しています。 【腐】を「固まりでやわらかく弾力があるもの」と解釈することは 【腐食】は「固まりやわらかいものを食う」となり 本来の腐食腐植と言う意味から外れることからも腐は「固まりやわらかい」説は著しく矛盾である。 ■ 【腐植】とは→土壌中に動植物の遺体がたまり分解され黒色化したもの部分。有機物を含む土壌を言う。 ■ 腐食とは→ 腐れたものを食うと言う意味ではなく「二次的ものに変化して行くさま状態」。 腐食の場合の「食」は「くう」とは解釈せず「くわれる」と解釈するのが妥当。 腐敗腐食とは物体物質が、なにものかに負けて食われて変化していくさま状態を言う。【腐】を「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈することは合理性がないと理解します。 【腐】を「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈されて居るとするならば その説 そのような書物が存在すると言うことであり その書物は時の独裁者や時の権力者又は時の金持ちが書物を出版したとは理解できませんか。つまり時の権力者が書物の記載を変更することは意図も簡単だったと歴史から推察出来ます。大陸中国でそのようなこと(記載変更)が行われたか日本で行われたかはわからないが... ■【腐】を「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈するのであれば 豆はじめ穀類から作る「お餅や饅頭やお菓子」等々は「固まりやわらかいく弾力のあるもの」です。 しかし同じ穀物で麦や米等々から作るお餅やお饅頭やお菓子に【腐】と言う漢字が充てられてないことからも【豆腐】にだけ腐が付いて居るのは不自然です。 つまり 【腐】を「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈することは過去の世界のいろいろな文明の歴史からして 後からつけたこじつけと理解する方が妥当であろう。 【腐】と言う字は中国で作られた漢字であり腐は中心(事を成す決める所)と言う意味の府と肉から出来た経緯からして「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈する事自体論理矛盾である。 ★何故豆腐に腐と言う漢字を充てたか 何故豆腐の粕かす(腐渣←ふさ)に腐と言う漢字が充てられているか、ご理解ください。豆腐だけが腐れやすく他のお餅やお菓子はくされ難いこともご理解ください。お菓子や餅も「固まりやわらかいく弾力のあるもの」ですが何故なぜお菓子や餅に腐の字が充てられていないことからも腐にたいして「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈することはおかしいと思いませんか。腐と言う漢字は先に肉と言う漢字が在り、その肉(身体の中心を成す肉→臓器)が変化しやすいことから考えられたことは明らかです。獲物を狩して来たら短時間のうちに臓器を取り骨を除き肉を干し皮を干す。そのことを短時間にやらないと獲物は臓器(身体の中心を成す肉)からくされ(違うものに変化)ます。大昔当時の人間は獲物(肉)で食生活をしている訳ですから内臓臓器を取らないとくされ易いことは当然知っていたはずです。 ■もしも みなさんが【腐】とは=「【生】→【死】→【腐】→【土】→【生】→【死】→【腐】→【土】と変化して行く蘇る自然サイクル再生のさま状態」と最初に教育されたとしたならば 後になって自身が信じて居る説と 違う説 【腐】を「固まりやわらかいく弾力のあるもの」と解釈することは合理性があると思いますか。 現在の北朝鮮の人間がそのような状態とは思いませんか。アフリカの20〜30の国ではいまだ女性性器の閉鎖手術を正しい行為と信じて居る者達と 同じ考え、洗脳されて居る、又は自己洗脳しているとは思いませんか。 ★★★時の権力者 憲法学者 知識人は不必要な古い知識 古い情報を頭に溜め込み 逆説理論や新しい情報を頭に入れる場所が無いのである。それ等の人間は古い理論古い情報を信じるあまり新しい理論を受けつけないのです。 つまり時の権力者 憲法学者 知識人とは 古い知識古い情報と言う本がいっぱい詰まった本棚に新しい本が入る余地がないのと同じです。そのことを日本の義務教育では教えてないのです。これは不必要な試験試験の詰め込み式教育の欠点盲点のひとつであろう。つまり不必要なものも頭に詰め込んで居るからです。教える側もこのことを理解出来てないのです。古い知識でも頭脳では荷物にはならないと言う人間が居るが 新しい理論 新しいものの考え方が出来ないのは 頭に不必要なものが入り過ぎると我々人間の頭脳は歳を得るに連れ新しいものを拒否し易い仕組みになって居るのです。それ等のひとつが人間独特の「洗脳」「自己洗脳」です。 ★★★沖縄には腐れ易い豆腐を麹菌を利用して数十年も腐らないようにする技術がある。 その食べ物の名は「豆腐よう」と言う超高級(王宮食)な食べ物である。 ★近年他府県にもhttp://www.ryukyusu.jp/to-1.html→琉球の豆腐よう(色は赤で中国の腐乳を進化させたものと思われる)を真似した製品があると聞く。 その技術もおそらく中国から伝わったのであろう。いろいろな説によると豆腐ようが琉球に伝わったのは700年前くらい前。「とうふよう」は赤麹菌を入れた煮た米に豆腐を入れて発酵させた琉球独特のもので琉球王朝時代からの高級な食べ物である。とうふようは現在「おみやげ品」として観光客に売って居る食べ物。中国文化を取り入れたのは他府県より沖縄の方が先と思われる。他府県大和は朝鮮又は琉球を経由して中国文化を取り入れたと考えるのがベターであろう。大和は大昔から朝鮮や中国と戦争した経緯があるが琉球は各国との貿易立国であった。でぇその貿易に目をつけたのが薩摩藩で約400前薩摩藩が琉球を攻めて重税を科した経緯。 豆腐も「さつまいも」同様 中国→琉球→大和と言う経由で伝わったと推察致します。逆に「昆布」は北海道から琉球から中国へと輸出された経緯。 沖縄で適作のサトウキビやゴーヤーも琉球列島から薩摩へそして全国に広まったと思われる。 ★★★ 納豆に関しては発酵菌が煮豆を発酵させたものであり腐敗(腐)ではない。 がしかし 腐敗と発酵の区別は人間が勝手に決めたことであり微生物側からすれば発酵も腐敗もほとんど同じ現象と理解出来る。しかし発酵菌が産出する物質と腐敗菌が産出する産物は違う。人類は人間に役たつもの(有益なもの)を発酵と勝手に決めつけその時人間にとって有害なもの(目的外の菌 その時不必要な菌)を腐敗と勝手に決め付けているだけである。例えば納豆を作る時の菌を発酵菌と決め付け その時不必要な菌を「雑菌」とか その時不必要な菌を「腐敗(菌)」と決め付けている。★例えば 北朝鮮からアメリカを見れば「敵→腐敗」とみるが日本からアメリカを見ると「み方→発酵」と見る。つまり同じ菌種でも目的によっては発酵菌とか腐敗菌にされて仕舞うのである。故に日本の学者とか博士とかが勝手に決めている決め方は明らかに間違っています。つまり実際微生物を趣味にして居るものでないとその事は理解出来ないのである。★つまり目的によっては発酵(通常発酵菌と言われている菌が働いては困る)しては困る時があるのです。★つまりその時の発酵菌を腐敗菌と言えると思いますか。日本の学者とか博士とか言う人間は過去のデーターを鵜呑みにしてそれをコピー転用すると言う傾向です。だから間違った論理がそのまま伝わっても誰も理解出来ないのです。故にそれ等の決め方は必ずしも正しいとは言えないのである。ものには腐敗から発酵に至る現象や発酵から腐敗に至る現象がある。)腐敗(腐らす菌)菌と発酵菌は別のものである(微生物理論)故に上記bigpapa理論から「豆腐」と「納豆」の漢字の取り違えはあり得ない。【納豆】は生きた豆を釜ゆでの刑にして その死骸を稲わらに包んで放置したら煮豆の蛋白やビタミン等欲しさに発酵菌が煮豆(釜湯での刑の豆の死骸)に食い付いて その煮豆と納豆菌と副産物を人間が食って生きると言う食物連鎖を起こす。 しかし納豆もそのまま長年放置すれば自然界の摂理で肉等につく「腐敗菌」が繁殖していずれ腐れる。 ある時(あるプラントにおいて)は腐敗菌と言われている菌と発酵菌と言われている菌が共同作業を行う。と言うか、違う言い方をすればお互いに住み分けて(同じプラント内でそれぞれの菌がそれぞれの仕事をしている)居る。と言った方が正しいのかも、よくわからないところがある。つまり人間が有益なものを「発酵」有益ではないと錯覚しているものを「腐敗」と言う決め方は必ずとも正しいとは言えないのである。★納豆菌は腐敗菌同様120℃度以上で無いと死滅しないことからして納豆菌は腐敗菌の類と言っても過言ではあるまい。つまり専門家と称する「博士や学者」の論理が必ずしも正しいとは言えない。★つまり納豆を放置すると「雑菌」が入り腐敗すると博士や学者は言うが、納豆菌も腐敗菌類とするならば「雑菌」が入ったのではなく納豆菌自身が働いたと言えないこともない(bigpapaは微生物を分別分離する等のいろいろな装置は無い)★納豆菌が腐敗菌類説の根拠は120度以上でしか死滅しないことの他に、納豆は臭いと言うこともその論理の根拠である。但し納豆菌も腐敗菌の類説はbigpapa個人の説であり世界や日本の微生物学会に認められた説ではありません、あしからず。★ちなみにbigpapaは微生物に関して特許出願中である。勿論特許出願等々はすべて本人が特許庁に出願する(微生物はbigpapaの趣味のひとつである) ★★★ いろいろな文献等から納豆類似品は世界各国にあるが「糸ひき納豆」食文化の発達は日本独特と思われる。中国文化が濃い琉球(沖縄)に「糸引き納豆」文化が無いと言うことは納豆は大和(日本)独特と思われる。故に納豆は日本独自の漢字であろう。納豆と豆腐は植物性蛋白質が豊富な食べ物である。微生物を趣味としているbigpapa個人的意見としては総合的(同じ100gとしてビタミン類や薬効等々)に判断して若干納豆の方が良いと思う。★いろいろな面で中国(台湾含む)と琉球は過去からのつながりを感じるが中国と大和は血の濃さは感じられない。大和と朝鮮は血の濃さを感じる。大和と朝鮮は同じ顔立ちである。 ちなみにゼンマイ仕掛けのおじさんbigpapaは父母共根っからの沖縄人(うちなぁ〜んちゅう)である【笑】 HPの写真を見れば琉球人面していることは一目瞭然であろう【笑】 北海道に行った時アイヌ人に間違われた経緯からしてアイヌ人と琉球人は似ていると思った。 しかし近年は沖縄も大和づらの単まぶたが増えて見分けがつかない。 琉球人面も大和や朝鮮と同じ単ひとえまぶたの者が増えた為であろう。 30〜40年前他府県(大和)に行った時大和人は朝鮮人と同じ顔に見えた 現在もそれは同じ。 でぇ こう思った「こいつら、すばしっこいなぁっ」と歩きの速さに驚いた(その頃 田舎から来たbigpapa20歳) ★沖縄(琉球)ではどのように1年分の肉を貯蔵したかと言うと。1年分の肉を約1Kgに小分けして、大きな瓶(陶器)に塩漬けしたのである。でぇ一年もすると塩が不均等な所は肉が腐れ、変色しぶよぶよに膨れて居るので、その腐れている部分だけ切り捨てるのである。現在であれば部分が腐れているものはすべて捨てるが、食料事情が悪い過去は腐れた(変色しぶよぶよに膨れた部分)部分だけ切り捨て、残りは食したのである。世界の肉事情は概ね沖縄と同じであったはずです。 ■ 但し 豆腐の「豆はくされない」の逆説は世界に認められた理論ではなく件は世界で初めての理論(論文)であり 過去に無かった逆説(論文)ゆえ 悪しからず...【汗】 腐を「固まりでやわらかく弾力があるもの」との解釈は、後に成ってからの「こじつけ」と理解出来るはずです。 いろいろな件において「こじつけ」は日本でも中国でも朝鮮でも世界の国でも在ったとご理解ください。豆腐とは豆で作られた肉(腐)に匹敵する食べ物と言う意味である。腐の部首は肉であり、府は身体の中心で物事の中心でその下に来るのが肉でありその合体した漢字が腐である。つまり腐とは中心(府)の肉と言うことになる。つまり豆腐とは豆で作られた肉(腐)と言うことになり肉に匹敵する食べ物 肉に匹敵する栄養価の高い食べ物と言う意味である。つまり大昔は肉が食べ物の中心であったと推察出来ます。 ■ 過去の文献からもご理解いただけると思いますが 60年前日本は現在の北朝鮮みたいだったとご理解ください。書物等、言論もすべて検閲し統制されて居た経緯を... つまり すべて権力者と金持ちが国を支配して居たのです。 世界の国は概ねそうであったとご理解ください。 だから言葉(言語言論)にしろすべて統制されて居たのです。 だから憲法学者や知識人が「表現の自由は制限出来る」と書くとそれを信じると言う体制になって居るのです。 豆腐にしろ「豆がくされた」と とんでもない解釈しても誰も気がつかないのです。 更にJISアートのことをAA(アスキーアート)と偽の情報が雑誌や新聞に載ってまかり通っても、誰も気がつかないのです。日本の高校や大学の情報工学科において「JISコードの中にasciiコードが入って居る」と 教えて居ると思われる。 文献もJISコードの中の半角文字記号のことを「アスキーコード表」をそのまま使用している為 そのことも間違って仕舞う(JIS code とascii codeを混同する)原因のひとつと思われる。JIS code とascii codeは似て非なるものである。 ■ 「こじつけ」の経緯はJISart日本の文字絵を「AA(アスキーアート)」と教育者等々が唱えると それが正しいと世間は認めて仕舞う と言うことからも「こじつけ」は過去の時の権力者(国に関した教育者含む)が唱えれば 世間の者はそれを信じて仕舞うと言う人間独特の性質(人間は単細胞から進化した証)であり人間は洗脳されやすく、自己洗脳しやすい厄介な生き物である。だから人間は宗教や摩やかしを信じやすいのである。 http://www1.ryucom.ne.jp/papa/asciiart.htm ← 文字絵(text art)ascii art &JISart の理論
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