進化論(変化論)を方程式理論で説く
進化論(変化論)の疑問とbigpapap説、変化退化(進化)論
方程式理論で進化論を説く
公開日2004-09-10

ダーウィンの進化論、、、「生物の進化は外界の直接の影響によって変化するのではなく、生物内にある外界の変化に反応する力による」←講談社の日本語大辞典、訳である。揺るぎない事実として、広く世界に受け入れられている理論である。進化論は、物事の変化を網羅的に捉えている。 一旦信じられた理論を覆すことは不可能に近い至難の業である。但しbigpapaはダーウィンの進化論は理解出来るしほとんど正しいと信じる、が、しかし、世界の学者が唱えている、「人間は猿族から進化した」、とは逆な説で、「猿族は人間属(族)から進化した」、が、bigpapa説である。その根拠は、猿族はたくさんいるが、人間族は人間だけである、と言うのがその根拠のひとつである。つまり、人間属から猿族は進化した、と言うのがbigpapa説の根拠のひとつである。だから猿族は多いのである、と、bigpapaは解く。猿族はたくさん居るが、人間属は人間だけである。もしも、猿族から人間が進化したのであれば、人間に似た生き物がたくさん居るはずが、現実は人間でけである。このことからも人間は猿族(属)から進化したのではない、とbigpapaは説く。世界各地の化石発見にも、世界の学者の頭には、「人間は猿族から進化した、だから、世界の学者は、猿族の化石は発見、とは言わないのである。人間が猿族から進化したのであれば、なぜ人間が進化したと言う猿族の化石は無いのだ、疑問であろう。人間属から猿族は進化した、と言うのが自然であろう。だから猿族は多く、人間族は人間だけである。発見されている化石からして、猿族は人間族から進化したと言う方が論理的であろう。その逆(猿属族から人間は進化した理論)であれば、人間属(族)はいろいろたくさん居たはずだ。しかし現実は人間だけである。この現実を世界の学者はどのように解釈するのだ。コペルニクスとガリレオの地動説と同じだろう。人間が如何に洗脳教育に弱いか理解出来るだあろう。進化論とは変化論のことである。

http://www.ryucom.ne.jp/users/b/tamago.htm←左記URLに記載してあった人間の元、祖(仮に祖先)だけ切り取ってきて、別箇に2004-09-10日掲載。

下記は悪名高い2チャンネル掲示板から引用転載。
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/mona/1091549711/57
 ←ココから引用転載
57 04/08/10 17:50 ID:zuSIEclQ
> 人間の祖先は
例えば個体猿Aと猿Bから個体原人Aが生まれた場合原人Aの祖先は当然猿ということになる。そして原人Aの子孫原人Bと原人Cの視点だと原人Aは祖先である。原人Aの祖先は猿なのだからその親である猿A、猿B、さらにそれ以前の代の猿も当然祖先ということになる。さらに原人Aの子孫である個体原始Bと個体原人Cから個体旧人Aが生まれた場合・・・以上の理論によって人間の祖先は猿である。
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ゴリラ、チンパンジー、人間は、、、共通の祖先をもち、、、それぞれが独自の進化を遂げた。
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下記973、974はbigpapa説に反論した文章。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1093031843/973
★ 973 :04/09/13 03:47:50 ←2004-09-13日引用転載
動物において脳は進化している。脳重量は脳体積と相関があると思われるし、ここは大雑把な議論なので、どちらで考えても差し支えないと思われます。原猿類は2ml-40mlの脳体積、大型類人猿は300ml-400ml、ヒトは約1200mlです。動物において脳が進化していないとすると、霊長類に関してさえ、そもそもほとんどの種がもともとも別の種だったと主張しなければなりません(そもそも、脊椎動物のような管状神経系を取る動物は、動物全体の一部です)。と同時に、少なくとも脳体積(同様に推定されうる脳重量)だけから、ヒトと大型類人猿とのあいだに境界を求めてしまうような発想には、疑問符がつけられます。脳の体積、重量にかぎらず、新皮質の占める比率で考えても同様のことがいえるでしょう。
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下記973、974はbigpapa説に反論した文章。
974 04/09/13 03:48:54 ←2004-09-13日引用転載
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足歩行に関して、最新情報。
600万年前のオロリン・トゥゲネンシスという猿人(アウストラロピテクスより古いです)についてです。この論文によれば、骨のCT分析によってオロリンが2足歩行できていたと結論づけています。つまり、2足歩行が可能になる脳の肥大化という順序となります(これは以前からの定説です)。むしろ形態学的に、直立のほうが大きい脳を支えやすいので、2足歩行のほうが4足歩行よりも脳が軽くなければならないというのは誤りでしょう。オロリンが2足歩行だとしても、それ以前の化石類人猿は2足歩行ではない。時系列的に、類人猿から2足歩行の猿人が進化したと考えるのが妥当でしょう。ましてやそのころに現世人類並の1200gの脳重量を持つヒトがいて、そこから現在の大型類人猿が進化したとは考えられません。さらに、大型類人猿がヒトから進化したと考えても、
では小型類人猿(テナガザルのこと)はどうなるのでしょうか。

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64 :04/08/21 16:06。学校じゃ進化論が正しいなんて教えてないよ。「進化論という考え方もあるよ」って風に言うだけ。しかも最近じゃ進化説自体も取り上げないようにしている傾向がある。
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68:04/08/21 16:22。進化ではなくて、突然変異しかないんじゃないの?しかも、なんか外的な要因がきっかけで変異して新種が爆発する。その中で外的要因にあった種が残って繁栄していくことを繰り返しているんじゃないの?
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138 :04/08/22 20:21。生物が進化してきたことを示す証拠などどこにもない。単なる仮説を事実でもあるかのように取り上げるのはいかがなものか。
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737 :04/09/09 01:54
進化を認められないのは、進化が何かわかってないからだよ。進化は類が全く別の類を生み出すこと。
類とは、その類に属する生物の特性全てのこと。だから人間で言えば人間の類性とは、語感の感覚機能から悟性・理性と言った世界の把握、つまり「理解」の仕方、すなわち人間らしさと呼べる物全て。時間・空間とか、言語とか概念とか、そういったカテゴリーも含めて全てそれらは人間が特質として持っている類的特性であって、他の生物と比べれば人間の外界のとらえ方は、「特徴的な特殊なもの」となる。だからたとえ我々から生み出された生き物であろうとも、それが別の類である限りは、我々には絶対に理解しがたいものなのだよ。類が違うという規定そのもの、そして引いては進化という規定そのものからそうなのだから。だから我々が進化してきた元の生き物も人間らしいカテゴリーを当てはめて「生みの母」とか感情移入するのは勝手だが、それは共通の感情を持たない、というか感情というカテゴリーを持っているかどうかも定かではない別の生き物なんだよ。我々から生まれる別の種も一緒。人間は人間という類に閉じた存在でしかない。だから分かり合える。そもそも他の生き物は他の生き物としての合理的な、そして我々とは根本的に共通点を持たない外海把握の何らかの構造をもっているのだから、違いは質として捉えるべきで、「どのくらい違うか」という量として捉えるべきではないし、だから
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673 :04/09/08 23:42。「進化」という言葉には「進歩」の意味が含まれるが、何を「進歩」と言っているのかさっぱり説明が足らないのだから、
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675 :04/09/08 23:59。進化に進歩の意味合いを込めていたのは社会ダーウィニストなどがいたが、現在では進歩の意味合いはまったくないので、自然淘汰説といおうが、進化論といおうが、合目的的ニュアンスはない。一般的に膾炙した場合に誤解されやすいのは確か。「自然淘汰」とは:1. 生存や繁殖に影響する遺伝性個体間変異が存在する、。2. 生き残る個体の数<生まれる個体の数、。→ゆえに生存や繁殖に有利な変異が集団内に広まること。
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631 :04/09/07 14:46。大腸菌や酵母、ショウジョウバエ、線虫ぐらいならいくらでも実験室内で「進化」のプロセスを追試できるんですが、、、
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ウイルス進化説とは、中原英臣、佐川俊が1971年に提唱した学説である。現在のところ、進化生物学の専門家からは十分に認められた学説とは言えない。ウイルス進化説によると、ウイルスによって運ばれた遺伝子がある生物の遺伝子の中に入り込み、生物の遺伝子を変化させることによって進化が起きるとする。つまり、「進化はウイルスによる伝染病」ということになる。中原英臣、佐川俊らは、以上の見地から、ウイルスはミトコンドリアや葉緑体と同じオルガネラであると主張している。ウイルスが遺伝子の移動を行っているオルガネラであるとすれば、遺伝子の移動によって起きる進化は、生物が持っている機能と考えられる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』

ここから下bigpapa説論文、
盛り付けも、味も風味も、果てはクソ、こだわらぬのが俺の芸風・・・あしからず。
退化→変化→自然淘汰。進化→変化→突然変異。と理解してのbigpapa説論文を展開する。進化とは、遺伝子が、書き換わる(ROM)、書き換える(ROM)、遺伝子プログラム変更の、ことである。ROMとはコンピューターで言う最初から情報が書き込まれたメモリーのことである。ROMは作る時にしか書き込みは出来ない、ROMは情報の変更は出来ない。
★ 
進化とは変化であり、進化とは、そのもの(動植物や微生物やウィルス等々)自身が良しと理解し前のみ(将棋で言う香車の進み方)へ進む変化、進化とは元に戻ることがない変化である(bigpapa説)。

何者か判らない動物(旧猿族又は猿族と仮定し、現在生きてないもの、)から、新猿族(.ゴリラ、チンパンジー、類人猿)と人間は祖先が同じ、と言う現在の説(世界の常識、世界の学者は口を揃えて人間と新猿族は祖先が同じ類から進化したと唱えている)であるが、それは違う(人間は猿属から進化した説を否定、猿属は人間属から進化した)、と言うのがbigpapa説である。その説(人間族から猿族は進化した)の根拠は、人間に似た生き物はサル類の他に居ない、その事がその根拠のひとつである。つまり、猿族に似た生き物はたくさん居る。故に、猿属は人間属から進化した生き物である。
★★★★★★★私bigpapa個人的人間論は、今までの理論(猿族から人間に成った説)とは完全に違います。 つまり、現在の猿族含め猿族より以前に人間族(霊長類の二足歩行)は存在したと言う新説理論です。bigpapaの説は、猿族とは別の種から人間(霊ちょうるい)に成ったと言う理論です。なぜそう言えるかと言うと、、、新猿類(猿属)を赤ちゃんの時から人間と同じ生活させても、初期のマイクロコンピューターみたいで、進歩が止まり(新猿類は脳構造が人間とは著しく異なるからサル類は人間の元ではない)、現在のコンピューター(人間の能力)にはならない。通常動物の場合、生物物理学理論からも、言えることですが、人間を1万回かけ合わせても猿にはなりません。つまり、人間は数億年前から人間の脳を持ったまま(生き物)だったと推察出来ます。新猿類(猿属)を1億回かけ合わせても人間には成りません、またその経緯もない。つまり人間の脳構造は数拾億年昔から変化が無いと推察出来ます。つまり、猿の脳構造と人間の脳構造は違うと言うbigpapaによる新理論です。
例えば、
豚の場合、茶色のイノシシから黒豚や白豚を作り、、、白豚と白豚をかけ合せても黒豚は出ません。しかし、元のイノシシをしろ豚に掛け合わせると茶色や黒色が再現出来ます。元(豚の元イノシシ)のものが作出出来る。人間に猿を掛け合わすことは出来ない。それは元(猿と人間は元が違う証)が違うから。「bigpapaが唱える色進化論、白が最終の色←進化の証明のひとつ」。つまり、動物の場合は進化(変化)の兆候があるが、新猿族含め、人間の体はじめ人間の脳構造にはそれ(進化退化の著しい兆候)がありません。それ等のことから、人間は猿族(属)ではないものから、、、進化(変化)と退化を繰り返し、人間に成ったと推察出来ます。 しかし我々は、人間は猿族から進化した、と教育されています。例えば、豚の場合は、猪から進化したものと理解出来る。猪と猪を掛け合わせたら、変化を伴い、豚になります。つまり豚の元は猪と理解出来ると思います。つまり、猿を何万回かけ合せても人間には成らないと言う経緯は、人間は猿族から進化してないと言うことを導くことは容易である。猿と豚は動物です。つまりbigpapa説の理論は人間は猿族ではないものから変化(進化退化)を繰り返し、ある時期から人間に成ったのであると解く説く。 数十億年前から生き続けている他の動物の脳構造も顕著な変化(進化退化)はありません。鳥類は鳥類のままで、魚類もまたしかりである。つまり、人間と同じ脳構造を持ったものが人間族で人間の元である。 
つまりbigpapa説は人間の元(祖)と同類(
先祖が共通但し世界の教科書は人間と新猿族は同じ祖先から進化したと教えて居る)な生き物は現在生きて無い、と言う新理論です。但しこの理論は世間に発表し認められた理論ではない(誰も認めてない、過去の理論を否定した新理論)から、あしからず、、、。
★現在の教科書は、人間の祖先は「380年前頃の猿人→アウストラロピテクス」と記載してある。
bigpapa説は人間の祖先は数億年前から人間族である、と説く、bigpapa説は人間と新猿類との脳構造の違いから導いた新説理論である。新猿族の脳は数億年経てもほとんど変化(進化退化)をしないと言う脳構造の違いによる新説理論。 つまり、新猿類は人間と同じ古い時代、人間と同じ生活環境の過去を歩んでいるにもかかわらず、新猿族の脳の発達がほとんどない。新猿族は人間族より後に発生した動物である、または同時代に発生したと思われる。すでに新猿族が発生する以前(又は猿族と同時代)に人間族は居た、と言うbigpapa説、新理論である。世界の教科書は、猿類(猿人)の次に人間の祖先が連なっている(同類、祖先が同じ)と解釈しています。 bigpapa説は、人間族が猿族より先に存在して、猿族とは別のルードである、と言う結論である。つまり、猿族の祖先と人間の祖先は、完全に別である、と言うbigpapa説の新理論。つまり、人間は、猿人(原人)は新猿類と同じ類と世界各国の教科書は説いています。つまり、猿人(新猿族)と人間族の脳構造の差(違い)からその説を解いていますbigpapa説は。 つまり、人間の祖先は猿人(猿族)ではなく、人間の祖は人間族と仮定しての理論である。教科書が言う猿人(原人)とは新猿族のことであると仮定しての理論であるbigpapa説は。つまり、人間の類、族は数億年以前に存在した説がbigpapa新説である。人類族は旧猿族と新猿族とは完全に別のルート説がbigpapa説の骨格を成す。それは脳構造の差による。更に人間と新猿族の脳は数億年前から進化も退化もしてないと理解出来ます。人間の進化と退化は体格的だけだったと推察出来ます。つまり新猿族も脳の進化と退化はほとんどなかったから、新猿族からは、人間に近い者が出てないのである。つまり、脳は進化や退化はほとんど無いと言う結論がbigpapa説である。体格は現代の人間とは違うが人間と同じ脳構造をした生き物が人間の祖先と推察致します。つまり、体格が違う為その生き物(人間の祖先)は生物学者(知識人含む)が見落としていると思われる。新猿族(猿人含めて)と人間は体格は似ているが、猿族(猿人)は人間の祖(元)ではない。但し発見された猿人が人間の脳と同じ構造であれば、人間の祖(元)は猿人と呼ばれているものであろう。但し発見された猿人の脳が猿類に似ていたら猿人は人間の祖先ではない。つまり、人間の祖(元)は体格の類似ではなく脳構造が鍵である。更に、現在の医学では猿の血液は人間に使用出来ない(その情報が正しいか不明、私は試験確認してない)。更に、新猿族からと突然変異含め人間らしい者が生まれた経緯はない。猿の脳は人間の脳と同じ機能にはなってない(動物独特の条件反射のみである)。人間の脳の大きさは進化も退化もしないから、新猿族の脳と人間の脳の大きさがあまりにも違いすぎる、新猿族から人間になったとするならば脳の大きさも猿に近かったはずが3倍も人間の脳は大きい。頭の良し悪しは脳の大きさではないから、新猿族より人間の脳が大きいと言うことは人間は新猿族と同じ類から進化したとは考えられない。頭の大きさも進化と退化を繰り返せば身体バランス上、頭は小さくなるはずが人間の頭の大きさはほとんど変化がない。脳は進化も退化もするとは考えられない。その点からも人間の元(祖)は新猿族ではない。進化と退化を繰り返せば、人類学物理学科学生物学等々の力学的ものの考え方して、歩行する為には、頭や脳はより軽くより小さい方が理想的にも関わらず人間の脳は新猿族の3倍もある。これからして人間の祖(元)は猿族から進化したのではない。世界の常識は、人間の祖((元)も新猿族の祖(元)も猿族とした、その経緯は人間の祖(元)は体格類似優先で決めて来た歴史(経緯)である。もしも世界の知識人の言う通りであれば、新猿族に人間に近い人間に似た突然変異の別の生き物が生きているはずですが、その経緯は無い。自分で自分の脳を破壊する脳構造、精神異常(統合失調症)は人間特有の自己破壊活動(自己破壊プログラムを組み込むことが出来る脳)であり、他の動物にはみられない行為行動状態である。コンピーター(プログラム含め)を作ったことのある者であればそれが理解出来るはずです。アナログの機械では起こり得ない事が、特に優れた記憶能力を持った機械で起こる自己破壊現象(精神異常統合失調症)である。よって人間の元(仮に祖先と仮定して)は現在生きている動物(ゴリラ、チンパンジー)と同類ではない。新猿族はメモリー機能が著しく弱い為「闘争本能」が薄いため、新猿族間の武器を持っての闘争(恨みつらみ闘争)がない。人間族はノモリー機能(脳構造の良し悪し)が備わっている為、人間族間の闘争が顕著に現れている。人間の脳は比喩すると、自己破壊(自滅)ソフトを組み込まれた脳であり、それを鎮める為に、タバコや酒、麻薬類、に手を出すのである。逆に闘争本能を目覚めさす、激辛子と言う麻薬みたいな麻痺痛み刺激で闘争本能を再現したがる人間。つまり人間は他の動物にはほとんど見られない攻撃型破壊型自己自滅型である。、その為に人間の元(仮に祖先)人間族(人間と同じ脳機能をもった生き物)は数拾億年以前に滅びた(自滅)又は自然消滅と思われる(人間の脳は他の生き物と脳構造が著しく違う)。つまり、それ等のことから人間(霊長類)の元(仮に祖先)は猿類では無い別の種(人間族の元)から変化(進化退化)を繰り返したと確信致します。進化退化を変化と理解する。bigpapaは世界で唱えている進化論を疑問に思う者である、その根拠はbigpapaが唱えている脳は進化退化(変化)しない理論である。これ等はすべてbigpapa独自の理論であり世間に認められた理論ではありません、あしからず、、、よって信じるか信じないはあなたの勝手です。但し、「脳は進化しない理論」が世界にあるか無いかは確認してない、もしかししたらbigpapaより以前に唱えているかも知れない。動物において脳が進化退化するとは考えられない、脳内のRAMプログラムが変化するだけである、ROMプログラム(進化退化プログラム)はけして変化(進化退化)しない。世界の学者は脳内のROMプログラムの変化を「進化する」と唱えているのである。動物個体において脳の体積や容積の増減変化は発達と退化(老化又は何らかの障害)である。但し「脳は進化しない又は進化論にあてはまらない」、と言うbigpapa理論は世間に認められた理論ではありませんから、、、あしからず。

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何故脳は進化しないかと言うと、生物は子孫を残す為の種の保存の法則から言っても、自身の脳を進化(脳に違う種の遺伝子を組み込む)させることはあり得ません。何故ならば脳を進化させると言うことは別の種類に変化すると言うことになり、生物(特に動物)はけしてこんな事は起こりません。つまり、他の臓器や手足は自身で脳に必要なプログラムすることによって動作するのであり、脳の体積や容積の増減は動物個体の発達や退化(老化やなんらかの障害)である。よって脳が進化することは絶対にあり得ないのである。脳を進化させると言うことは、他の生き物になる(別の違う種に成る)と言うことであり、種の保存の法則から言っても、理論的に脳の進化は絶対にありえない。結論として脳の進化は理論的にあり得ない。世界の学者(知識人)は何故こんな簡単なことが何故理解出来ないのだ。脳だけは進化しないのである。

★ 進化論の疑問
。まず言葉から、進化とは、自身が良い方(但し悪い方は悪化)に変化、と解釈するとして、、、bigpapa説新理論を進める。 人間は猿族から進化した、と世界ではそれが主流で世界でそのように教育している経緯から、その理論を覆すことは至難の業である。 しかし人間の脳と新猿族の脳構造の違い、更に新猿族の脳の大きさと人間の脳の大きさの違いは埋めようが無い。新猿族は概ね400-500gであるが人間は1200-1400gである。新猿族の場合ほとんど手と足で歩行移動するが、人間は足のみ(直立移動)で移動する。進化論が言う、人間が猿族(類人猿)から進化したとするならば、人間が足のみで歩く直立歩行する為には、頭(脳)を軽くする必要があるにも関わらず、逆に新猿族より3倍も脳が重く成っている。つまりこの事から、生物学物理学科学的ものの考え方からして、猿族から人間が進化したとは到底考えられない。逆に人間族から新猿族は進化したのであれば、脳の大きさから言ってその逆理論は理解し易いと思います。つまり、新猿族は人間族から変化した、とした方がより論理的である1200gある脳を400gに軽くして、木に登るように成って新猿族に成った、と言うbigpapa新理論。つまり新猿族は人間族から変化して数億年経過して現在に至ると言うbigpapa説逆理論。 人間族から新猿族は変化したと言う新理論、それ(変化)が突然変異と言うかは疑問である、何故ならば変異とは奇形(障害)を指すから、、、変化とは違うものに成った、と理解して、bigpapap説新理論は構成を成す。但し、変化の中に変異(奇形、ある面障害)も入ると思われる。新猿族と人間の性格からもその新理論は導ける。新猿族は闘争本能は薄いが、人間は闘争本能が著しく強く、人間は他の動物も食うし、他の動物をも滅ぼす勢いである。 新猿族はその点争いが少ない(殺し合いがほとんど無い)。つまり、進化論ではなく変化論がbigpapa説の主柱を成す。 例えば、からは進化したと言う経緯は、よりが優れているとは言えない、単に変化したに過ぎない。人間は変化を適当な言葉で、改良(人間が操作した)したとのたまう。 但し新理論は前項(猿族と人間族は別々の種類から進化)との矛盾は否めない。つまり、いずれかである、と言う結論。人間族から新猿族は変化して現在に至る、と言う説と、人間族と猿族は別々のルートから変化したと言う両方のいずれか、と言う理論であるbigpapa説新理論は。結論として、「人間は猿族から進化したのではない、」と言う主柱がbigpapa説である。つまり、新猿族(ゴリラ、チンパンジー、これ等類人猿)と人間は祖先が共通ではない、と言うのがbigpapap説である、人間の脳(1200-1400g)と新猿族(400-500g)の脳の差がそれを物語っている。

 猿より人間の脳が大きく成る要因のひとつが地球の何処にもある鉱物をはじめとするミネラル類である。 猿類の生活は樹上であるが人間は地上である。樹上よりも地上の方がミネラル類を体内に取り入れ易い。
但しこの(脳発達の要因のミネラル) 理論は世に出ている理論ではなくbigpapa独自の理論であるからして、あしからず、、、。

 人間族から新猿族へ変化したと言う理論のひとつは、人間族の脳は1200gに対して、新猿族は400-500gである、と言うことは、敵から逃げる為には、木に登ったり、崖に登ったりする為に四足歩行に迫られ、四足歩行の為には頭が重すぎ、頭を軽くする必要があった。 つまり、人間族(二足歩行)から変化した新猿族は必要に迫られ四足歩行に成った、と言う逆説である。つまり、人間は最初から二足歩行であったと言うbigpapa新理論のひとつが歩行方法の違いからそれを説いている。但し人間族は四足歩行も出来たと思われる、又は人間族も初期は四足歩行が主であったとも考えられる。進化論からして、世界の学者が唱えているように人間は四足歩行から二足歩行になったとするならば、これを進化と言うならば、四足歩行は進化とは言えないのか。いずれ(四足歩行か二足歩行か)が進化と言うのか。人間と猿族が同じ猿類から進化したと言うのであれば、新猿族(ゴリラ、チンパンジー、類人猿)からも(進化論からすれば)人間に近い者が出てくるはずが、しかし過去から現在に至るもそのような経緯はないのはなぜか。 それ等からして、人間族と新猿族(ゴリラ、チンパンジー、類人猿)は同じ類から進化したと言う世界の常識は、崩れてくるではないか。進化論を信じるならば、新猿族からも人間に近い者が出でくるはずがその経緯はない、なぜか。 それはbigpapa説が言う四足歩行は二足歩行から進化したとした方が進化論を満たすのではないのか。力学的ものの考え方からしても、二足歩行の方が不安定で四足歩行の方が安定と思うが。人間族と新猿族は祖先が同じ生き物から進化した、と言う世界の常識(世界の学者が唱えている理論)は理解し難い。四足歩行の猿類(チンパンジー他)の二足歩行と人間の二足歩行は、力学的な見地から完全に別物であり、むしろ人間の二足歩行は鶏の歩行方法に近いようん気がする。猿類が人間みたいな二足歩行に成ることは考えられない。むしろ二足歩行が四足歩行に成った、と理解した方が力学的に納得が行く。この事はロボットを作った経験がある者であれば理解出来るはずだ。つまり、人間は四足歩行から進化したのではなく二足歩行で在ったと言うbigpapa説の根拠のひとつがそれである。つまり、猿類は人間類から進化(退化←変化)したと解釈出来る根拠である。人間の二足歩行は、あの、ヤジロペー理論が人間の脳に遺伝子として組み込まれているはずだ。赤ちゃんが頭が大きいのはそれを物語って居る。

 人間の赤ちゃんが四足歩行からして、人間は猿族(類人猿)から進化したと言う進化論は、確かに説得力はあるが、脳の重さ(新猿族は400-500gに対して人間は1200-1400g)大きさからして、その理論(人間に対する進化論)は論理的ではない。世界の学者が言う、人間は四足歩行が二足歩行になったとした場合、それが進化と言えるのか、逆にそれ(四足歩行から二足歩行になったと仮定して)は退化で退化論が成り立つのではないか。人間は最初から二足歩行の方が、進化論や脳の大きさの点から言って二足歩行の方が論理的である。故に人間は最初から地上に居て二足歩行であったはずだ。四足歩行は木や崖等に逃げる時は有利だが、地上では不利の方が多い。人間族から新猿族(ゴリラ、チンパンジー類)が進化したとして、四足歩行であれば頭を小さく(脳を必要最小限)することに迫られ、結局、猿類は脳の重さが400gに成ったと思われる、又は人間属の祖は脳の大きさは400gだったとも考えられる。猿族(脳の重さ400g)から人間族(1200g)に進化したと言う理論は脳の重さ大きさから導くことは容易ではない。進化(変化)論からして脳のみが三倍大きく進化するとは他の動物を見ても論理上あり得ない、考えられない。動物の場合、過去に脳のみが3倍進化したと言う経緯は無い。コンピューター理論から言ってもメモリーが勝手(人的に手を加えることはあるが)に変化することはあり得ない。世界の知識人が言う脳の進化とは、単に、脳に書き込まれた情報の増減であって、脳自体の進化ではない。動物において脳のみが3倍も重く(大きく)なることは過去にその経緯は無い。このことからも人間は元々脳の重さ1200gでそのうえ二足歩行であったと推察出来る。 4足歩行であれば脳は1200gでは重く、たぶん(400g)にする必要に迫られた、と推察出来ます。初期の人間属の脳が400gであったとするならば、その頃に人間属から猿族は進化したと考えられる。ならば、人間属の祖はどんな生き物だったのか、と言う疑問が残るのがbigpapa説である。しかし、それを言うならば、人間の祖である猿族の祖はどんな生き物だったのだ、と言う疑問と同じである。いずれにせよ、bigpapa説は、猿属は人間属から進化した、と言うが柱である。

何故、赤ちゃんの頭は体の割に大きく重いか、それは赤ちゃん自身に二足歩行を「促す、二足歩行になれ、と、うながす」こと(遺伝情報が形に成っている)である。もしも、頭と体の割りあいの、頭が小さく軽ければ、赤ちゃんは四足歩行になり易い、と説けます。その論理は、人間が右手側に重いものを持つと、右肩が上がる、と言う現象からその論理は説けます。
数億年前、人間属(族)の子供(あかちゃん←脳の重さが概ね400g)がそのまま猿属(族)に進化した、と理解すべきであろう。
例えば、生まれつき耳が聞こえない子供が大人になっても、猿族同様、言葉を司る脳(脳細胞)が発達せず、萎縮(未発達)している、と理解出来る。人間においてこんなに数十年でこれが現れること自体、人間を言葉を必要としない状態に置かれれば脳は発達せず、脳は大きく成らないと理解出来る。これが等が人間属(族)から進化した猿属(族)である。身体の歩行方法も同様で、身体は動かさなければ進歩がないのである。

★★★人間の脳が大きくなった要因のひとつは、当時他の生き物より、初期の人間族属の生活に於いて糖分をより多く確保(食べられた)出来たと思う、これは私(bigpapa)が趣味にしている微生物から導いた理論である。更に塩分も要領よく取り入れることが出来たのであろう。但しこの(脳発達の要因の糖類、塩類) 理論は世に出ている理論ではなくbigpapa独自の理論であるからして、あしからず、、、。

★★★ 方程式理論の答えから解く説く、人間の赤ちゃんが自力で立つのは、概ね360日要する。赤ちゃんの時期は、脳細胞が、2足歩行に成るか、4足歩行に成るか、選択する時期である。赤ちゃんの時期は脳細胞が変化し易く如何なる環境にも対応(遺伝子が)するように脳は作られている。 赤ちゃんの脳内(脳細胞)は容易に変化(新しい回路作る)し易いが、不必要な脳細胞は消してから新しい脳細胞の回路は作られるのである。つまり、赤ちゃんの時期に遺伝子として書き込まれた脳細胞情報を赤ちゃん自身が一旦消すと回路情報は蘇ることは無いのであろう、コンピューター理論からして。この場合の消した回路情報とは、猿で言う、4足歩行の情報等々人間に成る為の情報は残し猿に成る情報は赤ちゃんの時期に消すのである。つまり、人間の赤ちゃんは猿にもなることが出来る脳内の回路情報を赤ちゃん自身が消すのである。但し猿の赤ちゃんの場合は人間になる脳内回路情報は入ってないのである。 なぜならば猿類は人間類から進化したからである。 コンピューター理論(ROM、 RAM)で言うと、赤ちゃんの場合、脳細胞に、一旦書き込みした回路情報(又は書き込まれて居た脳内回路情報、この場合不必要な回路情報)を消してから、新しい回路情報を脳細胞に書き込むのである。つまり、人間の赤ちゃんは2足歩行に成るか、4足歩行に成るか、を選択出来る遺伝子を持っているのである。つまり人間の赤ちゃんは生まれた時は、猿の歩行である「ナックル歩行」になるように、脳細胞に書き込まれているのである。しかし赤ちゃんは人間の親に育てられるから、ナックル歩行の回路情報を脳細胞から消し去るのである。 人間の赤ちゃんの場合は、猿に成る要素は在るが、猿の赤ちゃんは人間に成る要素は無い。 つまり、電気制御部品のダイオードの一方通行理論と同じで、人間から猿は出来る(作れる)が、猿から人間は出来(作れない)ないのである。人間族 → 猿族の一方通行説、ダイオード理論からして逆(猿→人間)は在り得ない。
★人間の赤ちゃんの脳は生まれた早い時期に「猿になるか人間になるか」を決定する仕組みになって居る。つまり、人間の赤ちゃんを猿に育てさせるとナックル歩行になり人間の言葉を失う、更に、脳の変化(脳細胞が変化→退化)により寿命が短くなる、つまり人間の赤ちゃんは猿状態になる。
★人間が猿から進化したと言う根拠を示す化石

★これ等の説は世間に認められた説(解釈)ではなくbigpapa独自の説(解釈)であるからしてあしからず。
 過去にbigpapaと同じ説の理論があると言うのであれば申し出てもらえば幸いです→ メールは→ papa@ryucom.ne.jp

★★★軟骨変化(進化)論から、猿属族は人間属族から進化したと言う論理のひとつ、、、
沖縄の食べ物で、ソウキ汁、ソウキそば、と言う食べ物がある。その食べ物は豚のアバラ骨(肋骨)の汁のことであり、豚の場合生後6ヶ月前後(約100kg)で殺して食す為に、骨が完成してない部分(人間が食出来る部分)がある、その食出来る軟らかい骨を軟骨と言う。つまり、その軟骨の方向(形と機能)は生物自身の生き易いように変化するのである。
その軟骨の未発達なのが人間の赤ちゃんである。赤ちゃんの手足腰等々の軟骨は如何なる方向へ向く(形と機能)ことも可能で、骨と骨の間の軟骨(未発達の骨)は生物自身が生き易いように変化する仕組みに成っているのである。例えば、人間の赤ちゃんが仰向けに成っている姿は、猿属族に成る形そのものである。人間赤ちゃんが仰向けに成っている姿そのまま、猿にすがったとした場合、軟骨が進化して赤ちゃんはだんだん猿の姿勢に成って行くのである。故に、猿属族は沢山居るが人間は人間だけである。故に、人間属族から進化したのが猿属族である。
故に、猿属族は二足歩行の人間属族から四足歩行に進化したのである。
★これ等の説は世間に認められた説(解釈)ではなくbigpapa独自の説(解釈)であるからしてあしからず。
 過去にbigpapaと同じ説の理論があると言うのであれば申し出てもらえば幸いです→ メールは→ papa@ryucom.ne.jp

 新猿族の体毛は長いが人間の体毛は無きに等しい、人間は体毛がほとんど無い為に、木の皮の服に動物の毛皮を手に入れそれを着て現在に至る。 新猿族は人間から進化(変化)して体毛が生えて現在に至る。新猿族に体毛が生えたことを進化と言うのか。人間が猿族から進化したと言うなら、人間の体毛が無くなったことを進化と言えるのか。体毛が無くなったことは退化であろう。 なにが言いたいかと言うと、人間族は猿族から進化したとは思われない、と言いたいだけである。進化論ではなく、変化論からすれば、新猿族は人間族から変化したと言う論理の方が合理的である。体毛が長くなる方が進化と言うのか、それとも体毛が無くなって行くのが進化とするのか疑問である。

 人間が派生した地域の地球の温度は体温の36度前後であった為に、人間族の体毛は必要無かったのであろう(人間族から変化した新猿族の体毛が長いのは進化と仮定して、但し、人間が猿族から進化したとするならば体毛が無くなるのを退化と言うべきであろう、これ「体毛消滅」を進化と言うなら疑問である)。派生した当時の人間族の体色は茶褐色(現在黒人と言われている)であったと推察いたします。理由は、動物の場合、体色は茶褐色から黒や白は出てくるが、白と白を連続的に掛け合わせて行くと、黒色や茶色は消え出てこなくなる(白人に成る)、と言う経緯からそれは言える。豚の場合、白豚と白豚をかけ合せても他の色は出てこない。つまり、白人と白人をかけ合せても黒人や黄色人種は出てこない。つまり、人間と人間をかけ合せても新猿族は出てこない。猿族と猿族をかけ合せても人間は出てこない。つまり、進化論にしろ変化論にしろ退化論にしろ元(先祖と仮定して、先祖帰りは無い)にはけして戻らない、と言うことである。
動物において脳が進化退化するとは考えられない、脳内のRAMプログラムが変化するだけである、ROMプログラム(進化退化プログラム)はけして変化(進化退化)しない。世界の学者は脳内のROMプログラムの変化を「進化する」と唱えているのである。進化論を変化論としてとらえた場合、生物の進化(変化)は現に実験で証明出来る、し証明済みである。前記にもあるように、黄色の猪から黒豚や茶色豚や白豚を作出して、白豚と白豚を掛け合わせて行くと、他の色の豚は消滅して白豚のみになりますハィ。つまり、白人と白人をかけ合わせても黒人が出ることはあり得ない、と言う事実から進化論の実験は出来るのである。つまり、黒人と白人を掛け合わせて行き、その子供の白人と白人を掛け合わせて行くと、いずれ黒人(黒色)は滅して白人(白色)のみになるのである。つまり、なぜ、黒い色が消滅し白色に進化(変化)していくのかが謎である「bigpapaは色進化論を唱える」。但し、すべてのものが進化論に当てはまるとは思えない。

 地球誕生の後しばらくして脊椎動物である人間族(属)も猿族(属)も海から(又は水辺)派生して陸に上がった、と言う教えはその通りであろう、、、新猿族(ゴリラ、チンパンジー、猿類)の発祥の地(場所)は数億年前から現在と同じ木の上で生活し、人間族の発祥の地は数億年前から山(獲物を狩)や洞穴(他の生き物から逃げる為と雨露を凌ぐ為)や崖がある平原で、水辺等々、近くに補給と獲物を狩する為の沼地又はがあって温暖(服を必要としない気候)な地(場所)と推察する。人間族は岩の穴、洞穴を住処(身を隠す)に進化したのであるが、猿族は木の上を住処(身を隠す)にしたから四足歩行になり、脳の大きさも人間の脳に成らなかったのである。つまり、猿族は脳を1200gにする必要が無いのである。猿族は脳を400gのままでも生活出来たのである。住む所(危険から逃れる場所)の差が人間族と猿族の差である。つまり、人間はの大きさ(重さ1200g)からして最初から二足歩行(四足歩行も出来た)で、猿類は脳の大きさ(重さ400g)から最初(二足歩行も出来た)から四足歩行であったと推察する。人間族と新猿族の脳の重さの差は進化論からして埋めがたい。つまり、同じ脊椎動物(しかし脊椎動物は海から派生したことを覆すことは出来ないであろう)であるが、人間族新猿族(ゴリラ、チンパンジー、猿類)の(祖)は同じ生き物者から進化したとは考えられない。進化論を信じるのであれば新猿族は人間族から進化したと推察する(人間属の方が猿属より先に派生したbigpapa理論)。その理由は人間族の脳1200g、新猿族の脳400gから、木の上や崖の上に逃げる場合、四足歩行の方が合理的であり、よって脳を軽く小さくする必要に迫られた為に退化論(自然淘汰)した。四足歩行の場合は脳は軽く小さい(1200gから400g)方が力学的ものの考え方して合理的である。つまり新猿族の脳は退化(自然淘汰)した。つまり脳は進化(この場合ある面発達)することはほんんど無い、と言う結論であるbigpapa説理論は。人間の脳が大きい重いのは単に熱を逃がす為が主で、エンジンの(オートバイのエンジン)放熱のぎざぎさに似ている。人間の脳は大きすぎるし重過ぎる。人間の脳も猿(400g)くらいの脳で十分ですハィ。しかし脳を軽くすれば四足歩行になり易いであろう。脳の大きさ重さは直立に立つ二足歩行に関係がある。つまり、bigpapa説は、猿属は人間属から進化したと結論づける。しかしbigpapa説は、人間属がなにから進化したかは不明である。現在の世界の学者が説いている、「人間は猿属から進化した」とは逆の説がbigpapa説(猿属は人間属から進化した)である。

 動物において進化するものは、骨や肉や臓器であって、脳が進化したと言う経緯(証拠)はない。脳は自然(外界)の変化を察知(脳と言うセンサーが感知し司令塔が指令)して、徐々に自然(外界)に対応して、骨や肉や臓器が進化(変化)するのである。例えば、人間はじめ哺乳動物の首の骨は、7個の椎骨出来ている、首の長いキリンも同じ7個の骨で出来たて居ることからも、進化したのは、骨と肉であり、キリン自身の脳は進化しないのである。脳は進化はしないと言う証拠のひとつである。動物の進化は脳が感知して進化するのであるからして、司令塔の脳が進化すること到底考えられない。よって、人間の元(祖)は猿族と同じ元(祖)ではない、猿族の祖は人間属であると言うのがbigpapa説である。

二足歩行の人間の脳と四足歩行の猿族の脳は完全に別もので同族ではなくなった(進化は戻らない説)。 人間は最初から二足歩行(四足歩行も出来た)で、人間が四足歩行から二足歩行に進化した経緯はない。 数億年前爬虫類や恐竜が生殖していた頃、恒温動物の人間族も二足歩行で洞穴で細々と生きていたはずだ。人間の脳がそれを物語っている。赤ちゃんが自然に四足歩行から二足歩行に成ることこそが、それ(人間は最初から二足歩行)を物語っている。
つまり、生まれてすぐの赤ちゃん数人が、猿と数万年〜数億年生活を共にすれば人間も猿くらい毛が伸びて(服が無いと、自然に毛が進化←毛が硬く丈夫に変化する)、猿くらい脳が小さくなり、人間も四足歩行に成るであろう。四足歩行に成る為には脳は小さく軽くなる方が理に叶っている。だから四足歩行の猿類の脳は小さく軽いのである。しかし、猿類を人間と生活を一万年〜一億年共にしても猿類は二足歩行には成らない。猿族と人間族の脳は違う。人間の脳は猿族より数万倍適応性が優れているから人間は四足歩行に成れる。人間族と猿族の脳の違いはそこにある。つまり、人間族と猿族の祖は同じではなく完全に別である。

 ウィルス進化説について、、、「進化はウイルスによる伝染病」と唱えている者が居るが。bigpapa個人の意見としては、ウィルスは「熱に弱い」「ほとんどのウィルスが過剰な水分に弱い、又その逆(異常な乾燥に弱い)もある」←ウィルスに関するbigpapa独自の説(世間に認められてないbigpapa説だが)によって、進化論を押しのけて進化論を凌ぐとは思われない。進化とは、将棋の駒の「香車←(これもbigpapa独自の解釈)」みたいなもので、前へ進むのみで後戻りはしないから、進化論が、破壊を伴うウィルスによる伝染病とは到底理解出来ない ウィルスは熱に弱い、例えば、45度℃以上を長時間当てると死滅又は働きを止めるものがほとんど、4度℃を長時間当てると死滅又は働きを止めるものがほとんど。 更にウィルスは微生物(微生物は130度℃以上長時間あてないと死滅しない、数百度でも行き続ける微生物もいる)より後この世に現れた、故にウィルス進化説は考えられないない。よって生物において、ウィルス伝染病は生物にとって破壊と後退(自滅自爆)である。もしも、そのウィルス理論が正しいとしても、その論理は結局、ダーウィンの進化論を後押ししていることにかわりがない。つまり、ウィルス進化説は進化論の証明のひとつにしかならない。とbigpapa説は結論づける。 これ(色進化論bigpapa説)と同じく進化論の後押しのひとつの証明すぎない→「bigpapapは色進化論を唱える、これも世間に認められた理論ではない

 bigpapa説は脳自体(脳内)の、伝達情報(指令や関知や感知等の機能)の書き換え、又は細胞の増減、はあるが、脳そのものの進化は無い、と説いているのである。

★ 進化論(変化論)を否定することが出来ない理由を方程式理論で説く溶く。
退化変化→自然淘汰。進化変化→突然変異。
進化変化→自然淘汰。退化
変化→突然変異。
自然淘汰→変化退化。突然変異
変化進化
自然淘汰→変化進化。突然変異→変化退化
進化論(退化と進化の変化が進化論)は変化にたどり着くのである。
★例えば、羽が退化したペンギンは他の鳥から進化したと考えられる。
足が退化したヘビは他の生き物から進化したと考えられる。
ヘビトカゲ類から進化したと思われる(ヘビは細い穴に入れるように足を退化させたと思われる→結局、ある面の退化も進化に成る)。これ等は世間に認められた説(解釈)ではなくbigpapa独自の説(解釈)であるからしてあしからず。

 bigpapa説、人間族は最初から2足歩行で「4足歩行ではない」と説く。
猿類(4足歩行)は2足歩行から進化(又は、退化←変化←進化)したと考えられる。生食において猿類の場合4足歩行の方が2足歩行より便利(有利)である。
人間族と猿族は別々の祖(一般に言う祖先)を持つと理解するが、、、又は、微妙だが、
猿族は人間族から進化したとも思われる、に、辿り着く。世界に知れている、人間の祖は猿族から別れ別のル−トを辿った、と言う説を否定するのがbigpapa説である。
 人間の場合、赤ちゃんにおいて4足歩行と我々は教えられてきたが、赤ちゃんは4足歩行の方が便利だから、又は2足歩行の能力を発揮出来ないから赤ちゃんは4足歩行である。
赤ちゃんは脳が大きく(重く)成るに従って2足歩行に成る、と理解した方がbigpapa説は理解し易いと思います。
つまり、世界に知られている、「人間は4足歩行だった」説を否定するのがbigpapa説。
つまり、人間は四足歩行から二足歩行になったのではなく、人間の脳は重く大きく猿属猿族と脳の大きさの差が3倍もある為、人間は必然的に最初から二足歩行だったのである。「直立のほうが大きい脳を支えやすい易い」←このことからも人間は猿属猿族から進化したのではない、と説く。
猿もゴリラも犬も猫も訓練すれば二足歩行であるける、が、しかし、、、二足歩行から四足歩行になった方がより自然である、このことからも、二足歩行の人間が先に存在し、猿属猿族は後から派生したのである。
勿論この説は世界に認められた説ではなくbigpapa独自の説であるからして、あしからず。

★★方程式理論で人間の元を説くと、、、方程式理論の答えから問題を導く方法から、、、
現在、猿族(属)の種類(例えば、ゴリラ、チンパンジー、オラウータン等々)は数拾種類から数百種類居て、人間属(族)は我々人間一種と言うことが、人間属から猿属は進化したと言うbigpapa説論理の根拠のひとつである。 もしも世界中の学者が言うみたいに、
人間は猿から進化したのであれば、それぞれの猿族(属)から、それぞれ人間に似たもの(人間に似た生き物)が居るはず、又は居るべきであるが、現在に至るも人間の一種しか居ない、と言うことは、人間は猿族(属)から進化してない、と言う根拠(証拠)のひとつである。 つまり、猿属(族)は人間属(族)から進化した、と言うのがbigpapa説である。
つまり ピラミッドの頂点は人間一種で、その下に数百種の猿属(族)である。
 しかし 世界中の学者は人間は猿から進化した、と教えている、が、
しかし、人間は猿から進化したと言う証拠(根拠)はない。

人間は四足歩行から進化したのでは無い、と言う論理のひとつは。
人間が結合(性行為)する時、顔を見合わせて性行為を行うが、猿ゴリラ類(猿属)はメスが後ろ向きになりメスの性器にオスの性器を挿入する。これは人間サイドから言わせれば奇形者又は障害者体型である。つまり、2足歩行に成った時点から人間属族と言う。人間に成る以前の生き物は4つ足の4足歩行でった。
つまり、猿属はメスとオスが一方向に向かうが、人間は女性と男性は違う(ニ方向)方向を向かう(顔を見合わせる)、これ(人間の性行為)は、二足歩行は四足歩行になり易い、と言う現象(証拠)のひとつである。故に「
人間は四足歩行から二足歩行に進化したのでは無い、すでに人間は2足歩行であった」と説けます。但し人間族になる前の生き物は四足歩行であったと思う。だから人間は四足歩行も二足歩行も出来る。この事からも、人間属(二足歩行)は猿属(四足歩行)から進化したのでは無い、と言えます。

 人間類と猿類の差のはじまり。
肉類(海の生き物魚類)を食することができなくなった者が猿類(属)であろう。肉類(海の生き物魚類)を食する者と肉類(類)を食出来なくなった者の差が人間類(属)と猿類(属)の差である。つまり、長年(数億年)肉類を適度に食出来た者の脳とそうでない者の差が脳(脳細胞の発達とその維持)の大きさと成って現れているのである。脳細胞が発達するに連れて脳が大きく成ったのが人間である。猿属族は初期の脳の大きさを維持し続けている。人間の祖は海と陸を行き来していた4つ足の生き物(例えば、アザラシ類)であろう。
但し、世界においてこの脳理論を唱えた(活字になった書物)者は過去になく世間に認められた理論ではないのであしからず、信じる信じないはあなたの自由。

 尾っぽについて、、、密林の高い木の上が生活の場所であるものは尾っぽが長く、地面近くが生活の場所であるものは尾っぽは短い、又は尾っぽは退化したと思われる。第5の手足である尾っぽは木の上では有効だが、地の上(洞穴が住処)で二足歩行する場合尾っぽは必要ないから、尾っぽは退化したのであろう。ヘビの足が退化したことからも推察可能である。つまり、足の退化もまたヘビにとっては進化と成るのである。

★★★ bigpapa説を木に例えると、人間属(族)は、木の幹で、枝葉が、猿属(族)である。
★★★ 不明の生き物(四足歩行の尾有)→→進化→→人間属(族)→→進化→→猿属(族)
★★★ つまり、猿属(族)は人間属(族)から、分かれたのである(bigpapa説)
数億年前、人間属(族)の子供(あかちゃん←脳の重さが概ね400g)がそのまま猿属(族)に進化した、と理解すべきであろう。
★★★
 人間属(族)になる前の不明の生き物は海から這って来た生き物であろう。

酷寒の地エスキモー等で生きている人間を見ても理解出来ると思うが、 猿より人間の方が酷寒の地に適応する能力は優れていることからも 猿より人間の方が先に存在したと理解出来る。 猿は人間から進化した説のひとつが酷寒の地に適応するか否かで理解出来る。そのことは人類(人間属族)は海から上がって来たとした場合の裏づけのひとつである。魚はじめ海の生物を食してきたのが人間属族で、なんだかの理由でそれを(魚はじめ海や陸の生物)食出来なくなった者が森に移動して食生活の変化と共に人間属族は猿属族に進化したのであろう。

 人間は猿族属から進化したのではない、とした場合、では、人間はどんな動物から進化したか、について。 いろいろな世界の情報から、海から上がってきたと理解し、、、水陸で生活出来る動物であろう。 それに該当する動物は、アシカ(海驢)類(オットセイ類)である。 その生き物は何らかの理由で海では生活が困難ににり陸に上がった、それが人類の始まりであろう。上がった陸地は植物(果物等)は豊富にあったはずだ。しかし、海では弱い海の動物が陸地に上がり、次第に弱肉強食が始まって、食べ物を捕捉出来ない者は森へと逃げてそこで生活したのが猿類(猿属族)に成ったのであろう。 人間属族は初期の頃から海に関わった生活(魚はじめ生物を食して居た)していたであろう。いろいろな情報からして猿類が海から上がったと言う説は論理的に無理がある。人類は海から上がって来たと言う説の方が論理的である。そして猿類は人類から進化した。 但しこの人間はアシカ類から進化したと言うbigpapa説と同じ説が世界に在る(存在するか否か)か否かは不明である。その点悪しからず。

 人類(人間族属)が海から上がって来たと仮定して、、、
この場合、人間属(族)から猿属(族)は進化したとした場合の方が論理的である。猿属(族)が海から上がって来たとは論理的に考えて在り得ないことである。猿属(族)は最初から森の木の上で生活してきたと考えるのが論理的である。その事は海又は海に近い酷寒の地エスキモー等で生きている人間を見ても理解出来ると思う。人類(人間属族)は海から上がって来たと解釈した方が論理的である。 世界中の学者が唱えている、人類は猿類から進化したとした場合、では猿類は海から上がって来たとなる、が、考古学の化石からしてもそのことは論理的ではない。アシカ類(何らかの理由で海では生活出来なくなった4つ足の生き物)から人類になり猿類に成ったとした場合の方が論理的である。
更に、人間の肌は泳ぎに適した肌である、毛が無い又は著しく少ない、猿類にくらべて。手足は船の櫂と同じ作用をする。つまり、人間の祖先は海で生活して居たであろうと推察出来る。

 世界の学者やその書物はすべて、こんな(下記)解釈で書かれている。
それ等の学者が共通している点は「人間属族と猿属族の共通の祖先」と書いてある。つまり、それは英語文字の「Y」の字で言うと、下側が「人間属族と猿属族の共通の祖先」に成る。しかし、bigpapa説は、下側は「人類←人間属族」と唱える。bigpapa説は、分かれたのではなく、猿属族人間属族から分岐した、と唱える。つまり、共通の祖先から分岐したのではなく、猿属族人間属族から分岐した。人間の祖は4つ足で逃げ足が早く成った時点で人間に成った、と区別すべきである。そして海の生物を食することが出来なくなった、森に逃げた(追われた)者が猿属族に成った。
-------------------------------
■人間属族    ■猿属族(四足歩行)
現在に至る  現在に至る
     \  /
       Y
     人間属族(二足歩行で短い尾っぽが在った)
       ↑
       

アシカ類(オットセイ等々)海と陸で生活出来る生き物、海で生活出来なくなり、這って(4足歩行の初期)陸に上がった、(海と陸を行き来出来る生き物)、、そして短期間に2足歩行に成った、それが人間属族である。二足歩行の方が逃げ足が速い。

【例】
山があり、川は海へ向かって流れている1本の川と仮定する。

山--→ A(人間族属) ------→ B ----- C -----→ 海(現在の人間)
         \
           \_______ a(猿族属)------→ 猿族属は現在に至る。


この場合、山とAは数万年〜数億年前を指す。BCは現在の人間に至る過程。
当時のA(人間族属)は、尾っぽが在ったと思われる、但し今の猿類の1/4くらいの長さ。
進化と共に尾っぽは無くなっていったと思われる、その点、a(猿族属)は進化と共に尾っぽは長くなって行ったと思われる、生活の違いが尾っぽの変化(進化)につながったのであろう。。

---------------------------------------------
 こんな説明で理解して欲しい、世界の学者が言う、人間属族と猿属族の共通の祖先の考え方は、例えば、概ねそれぞれの血が50%と50%混じっている祖先、と解釈しているようですが、bigpapa説は、共通の祖先ではなく、100%人間の血から猿属族は進化(変化)して行ったと解釈する、その根拠は、猿属族は現在に至るも沢山居るが、人間属族は人間だれである。数万年前の化石等々から人間属族は「猿類」に似ているから、世界の学者は、共通の祖先、と決め付けているのである。元々人間属族の顔は猿属族に似ているが、それ(世界の学者が言う古代の人間は猿顔している)が人間の顔である。つまり、猿属族は現在に至るも顔が変わらなかったのである。つまり、人間属族だけが現在の顔に変化したのである。顔や体に毛が多い少ないは生活環境と気候変化(天変地異)によるのである。

人間属族と猿属族の差は脳の大きさとその機能にある。人間属族は生活状態(例えば、魚はじめ海の物を日常的に食してきた)により脳細胞が増え大きく成った、が猿属族は生活状態(例えば、魚はじめ海の物を食することを放棄)によりそのままの状態が現在まで続いている。つまり、分岐した初期は人間属族も猿属族も脳はほとんど同じ大きさであったはずだ、又は若干の差しかなかったはずだ。猿属族が人間と同じように成る為には、数千万年(数億年)が必要であろう。しかし、猿属族の生活環境が変わらない限りいつまで経ってもそれが変わる(脳の大きさ重さ)とは考えられない。脳に関してはすでに数億年の差である。猿属族の脳は地球が破滅するまで今のままであろう。進化は元には戻らない。つまり、猿属族は人間属族から進化したのである。

つまり、人間属族から分岐した時点は2足歩行であったが猿属族は2足歩行から次第に4足歩行に成った、とbigpapa説は唱える。それは生活環境の変化から4足歩行に成ったと解釈する。4足歩行から2足歩行に成るのは容易いだが4足歩行から2足歩行に成るのは難しいと解釈する。つまり、人間属族は海から上がった時期は4足歩行で次第に2足歩行に成った。4足歩行より2足歩行の方が逃げ足が早や勝ったと思われる。それは、論理的に言って、人間が四つんばいに成った時と2足歩行になった時の速さでそれを理解するのは容易である。例えばアシカ(人間の祖先)が2足歩行で逃げた、と理解すればよい。

 昔、日本の田舎(農村)で、よく見かけた老人達は、両足が湾曲したまま歩いている姿を見かけた。その姿は、足は湾曲し肩を左右に揺らして歩いて居た。それは、長年の姿勢や栄養状態によりその体格に成ったと思われる。その姿は、猿類が歩く姿と同じで、ナックル歩行に近い姿である。つまり、人間から猿は進化したと言う根拠のひとつである。ダイオードの性質、電流は片方向通へしか流れないと同じで、猿から人間は進化したのではなく、人間から猿は進化したのである。猿から人間が進化したのであれば、人間に似た生き物が猿類みたいに沢山居るはずが、現実は人間のみである。

 人間の妊娠期間は約10ヶ月、猿属族に比べて長い、人間の赤ちゃんが歩きだすのが約1年、、、猿類の赤ちゃんはすぐに母猿にしばみつき、危機に対して母猿共逃げることが出来る、、、それに比べ人間の赤ちゃんは、目も見えず、母親にしがみつくことも出来ない。つまり、人間の赤ちゃんは危機に対して無防備である、なんら危機に対して進化の後が見られない、何故か。その人間の赤ちゃんが成人(子供を生む事が可能な年齢)に成る期間が、猿類に比べてこれまた長い。
世界の学者が言う、「人間は猿属族から進化した、又は人間と猿は共通の祖先」であるならば、何故なぜ人間だれは生む生まれるに対して何の進化も無いのか、その点からして人間は猿属族から進化したとは考えられないのである、進化論からしても、。「赤ちゃんをタマゴで生みたい」、この願望は人間属族が進化してこなかった証であろう。
■ 勿論この説は世界に認められた説ではなくbigpapa独自の説であるからして、あしからず。

 猿属族の妊娠期間は約180日、現在の人間は約300日、このことからも、人間が猿属族から進化したとは思えない。進化において、当時の環境からして、危険がいっぱいの世界、出来るだけ早く産み育てることが急務であったはずだ、、、妊娠出産に関して猿属族は早く、、人間属族は遅い。 これ等からみても人間属族から猿属族は進化した、と理解すべきであろう (わざわざ妊娠出産期間や育て期間を長くする事は考えられない、出来るだけ妊娠期間や育て期間を短くするのが生き残る術である)。 よって、人間は猿属族から進化したとは思えない。
勿論この説は世界に認められた説ではなくbigpapa独自の説であるからして、あしからず。

 ちなみに、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは人間族属とする、その訳は脳が概ね同じ大きさ。つまり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは共通の祖先を持つと思われる、特徴がそれぞれ現在人に類似する点が多い。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが同種か異種かは現在の文献や情報からして不明。 豚とイノシシの異種程度か???、但し豚とイノシシは共通の祖先を持つ。わずかながらネアンデルタール人とホモ・サピエンスが結合して一部現在の人間になった可能性は考えられる、世界は広い、黒人白人、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、等々。化石等々まだ、発見されてない人間族属の種類が居るかも知れない。 但し、ネアンデルタール人が我々人間とは関係が無いとした場合、ネアンデルタール人は猿族属になるのか疑問が生じる。bigpapa説、揺らぐ、錯綜、、、か。 いゃ、それはbigpapa説が正しいことかも。

 しかし、、、新聞、テレビ、ラジオ等々で報じたて居る。
>ネアンデルタール人は人類とは完全に別の生物であると判明。
>混血も不可能。

論理的に考えて、なになに人であるならば、混血人が出来ないこと事態に無理がある。例えば、イノシシと豚は混血が可能です、同じ人類であるならば混血は可能。更に、人類とは別の生き物とした場合、「ネアンデルタール生き物←人」に対して「」を付けること事態おかしい。メディア等でもよくこんなことを言う、「ネアンデルタール人のことを、滅びた人類」と、のたまう。「滅びた人類なから、」人類だろう、それを人類とは違う生き物とは、論理的におかしい。

-----------------コーヒータイム
■ この世の中に「土着菌」なるものは存在しない。
農業関連の本等が言う「土着菌」とは、「土着の菌」と思われる。
土着の菌とは、その土地、その地域、その家屋、に長く住んでいる菌のことであろう、が、しかし、
土着の菌には数千数万数億の菌の数、種類(属、科、)が存在する。
食品や農業用に使われている主な菌類は、概ね、、、酵母菌、麹菌(カビ、別名 糸状菌)、乳酸菌(特に好気性、嫌気性菌は使用しない)、異論はあるが放線菌、等々、主に好気性菌、、、。農業関連の本が言う「土着菌」とは、概ね上記の菌のことと思われる。
菌の名前は、必ず固有名詞(なになに属の○○、なになに科の○○)が付いて居ている。

★例えば、このように使用する、、、「土着の菌を利用して有機肥料を作る
                   、、、「世界の菌を利用して有機肥料を作る
このように、世界と菌をくっ付けた菌名は存在しない。
このように、土着と菌をくっ付けた菌名は存在しない。
■ この世の中に「土着菌」なるものは存在しない。
微生物について詳しくない者(知ったかぶり)が、「土着菌」と、この世に存在しない菌名を使用する傾向である。つまり、微生物に詳しい者はけして土着菌とは言わない。

★ 詳しくは、応用微生物、食品微生物の本をご覧ください、土着菌なるものがこの世に存在しないことが理解出来ます。

なぜ、こんな間違いが氾濫するかと言うと、日本の教育の方針が、論理的ものの見方、論理的ものの教えを、疎かにしているからであろう。
このことからも日本の教育基本法に不備があると思われる。

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★★★
進化論で目の「近視」「遠視」を説く、← コーヒータイム。
目の仕組みを大まかに記すと、目の外側から「角膜」「瞳孔」「虹彩、筋肉の動きで瞳孔の大きさを変化させ、入る光の量を調節する」「強膜」「毛様体、筋肉の伸び縮みによって、水晶体の厚さを変えピントを合わせる働きをする」「水晶、直径約10mmのレンズで必要に応じて入ってくる光を屈折させ、近くを見たり遠くを見たりする時3.5-4.5mmくらい変化する」「脈絡膜」「網膜、像を写すところ、明暗や色を感じる等の細胞から出来ている、厚さは約0.1〜0.3」「視神経、すべての情報を脳に伝える」等々から成り立っている。
 目を動かす6本の筋肉「上斜筋」「下斜筋」「内直筋」「外直筋」「上直筋」「下直筋」がそれぞれ対でそれぞれの役目をする。
 近視と遠視、網膜の前で像のピントが合うのが近視、網膜の後ろで像のピントが合うのが遠視。つまり近視や遠視は、水晶体の厚さのコントロールの良し悪し(適当か不適当)によって決まる。特に近視の場合、生まれつき水晶体のコントロールが利くか利かないが問題である。 生まれた時は正常だったが次第に近視になったとした場合、他の臓器等に欠陥が無いものとして、、、この場合毛様体又はその付近の異常が考えられる。
 では、なぜ近視に成るかについて、いろいろな要因があるが、、、進化論から近視を推察すると、進化論はこうである「生物内にある外界の変化に反応する力による←進化論←世界で共通の情報」、この場合の生物とは人間そのものを指す。つまり、第一に「環境近視になり易いのは異常なほど連続的に近くを見る機会が多い時に患う、近視は接近して物を見る癖から起こると考えられる。つまり、進化論から言えば、遠くを見ることが多いのであれば近視に成らず遠視になり易いことになる、近視を治す為には遠くを見る機会を増やすことである」更に「目に負担になるような異常なストレスを避ける」、第二に「食事は赤色紫色の果物、紫色の豆類、等々、適度にポリフェノールやアントシアニンを多く含む食べ物や鳥(鶏)のレバー等が良い、鶏のレバーは眼球の周囲の筋肉に作用すると思われる、故に眼球の周囲の病気に効く、故に目の付近の筋肉に作用すること思われる」、第三に「遺伝→遺伝子→わかり易く言えば、遺伝子は指令書又は地図又は配線図、又は設計図、等々である」、つまり、進化論(生物内にある外界の変化に反応する力による)から言えば、近視遺伝子を封印するような、近視遺伝子が働かないような環境と食事で近視は治る又は進行を止めることが出来る、と考えられる。 生物(人間)は、子供時代、不必要(勉強含む)に接近して連続的に物を見た場合近視になり易い、つまり進化論からすれば、本を見過ぎたら近視になり易いと言うことに成ります。都会に住んで居る者は屋上から遥か遠くの山並み等、遠くの物を見る癖をつける。 但しこれ等の理論は医学書に在る訳ではなく、進化論から推察したbigpapa独自の説であり世間に認められた理論ではない故、悪しからず、信じる信じないはあなたの自由、、。
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 世界ではじめて、植物の進化を99%止める方法理論へ、但し、この理論はbigpapa独自の理論であり、世間に認められた理論ではないから悪しからず。

★★★★★このbigpapa理論を本等(活字、メディア)に使用する者は、、、この、人間の元は猿族ではない説、と、猿族は人間族から進化した理論は、世界で初めてのbigpapa説であるからして、、、著作者(bigpapa)許可が必要です。但し、ホームページ等へのリンクを貼ることは自由です。ちなみにbigpapaは無神論者である。退化→変化→自然淘汰。進化→変化→突然変。と理解してのbigpapa説である。
  過去にbigpapaと同じ説の理論があると言うのであれば申し出てもらえば幸いです。
   メールは→ココ

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